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ポルトガルのサッカークラブ ウィキペディアから
スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル(Sporting Clube de Portugal ComC MHIH OM ポルトガル語発音: [ˈspɔɾtĩɡ(ɨ) ˈkluβ(ɨ) ðɨ puɾtuˈɣaɫ] Euronext: SCP )は、ポルトガル・リスボンに拠点を置くクラブ。単にスポルティング(Sporting)、スポルティングCP(Sporting CP、スポルティング セーペー)として知られる。
ポルトガル国外ではスポルティング・リスボン(Sporting Lisbon)の名で広く知られているが、クラブ自身はこの名称を「単なる誤解」であり「正したい」と述べている[1]。
首都リスボンに本拠地を置きプロサッカークラブを保有、陸上競技選手を育成する。この項では主にフットボールクラブについて記述。
ポルトガルサッカー界において1940年代から1950年代にかけて国内タイトルを数多く獲得し、FCポルト、SLベンフィカとともにトレス・グランデスと呼ばれる。
ユースアカデミーからはパウロ・フットレ、ルイス・フィーゴ、シモン・サブローザ、リカルド・クアレスマ、クリスティアーノ・ロナウド、ナニらを輩出してきた。
最大のライバルは同じリスボンを本拠地とするSLベンフィカ。この2チームの対戦はオ・デルビー・デ・リスボア(リスボン・ダービー)と言われ、クラシコと見なされている。またポルトガルの3強の一角を占めるFCポルトともライバル関係にあり、ポルトガルで3番目に人気のクラブである。
スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルの正式な創設年月日は1906年7月1日だが、前身とも言うべき2つのクラブの存在があった。
1902年、シントラの避暑地ベーラスで休暇中だった上流階級の人々によってスポート・クラブ・デ・ベーラス (Sport Club de Belas) が創設された。同クラブはわずか1試合を行ったのみで休暇状態に入ったが、リスボンに帰ったメンバー達は1904年にカンポ・グランデ地区でカンポ・グランデ・フットボール・クラブ (Campo Grande Football Club) を改めて創設した。しかし1906年にクラブで内部分裂が起き、その際の脱退者らが創設したクラブがスポルティングである。
ジョゼ・オルトレマン・ロケッテ(ジョゼ・アルバラーデ)は、祖父から資金と土地の援助を受けてスポルティングの創設を助け、初代会長を務めた。スポルティングの本拠地エスタディオ・ジョゼ・アルバラーデの名は彼に因む。
1938年にはポルトガルでも全国規模のリーグ戦が開始された。スポルティングは1940年代から1950年代にかけて最初の黄金期を迎え、この20年で10回の優勝を果たした。1940年代後半のフェルナンド・ペイロテオら5人によって構成された攻撃陣は「5人のヴァイオリン弾き (Cinco Violinos)」と譬えられた。
1963-64シーズンにはクラブにとって唯一のヨーロッパタイトルであるUEFAカップウィナーズカップを獲得した。決勝のMTKブダペストとの試合は延長戦でも勝負がつかず、翌々日の再試合に勝った末の優勝だった。2004-05シーズンのUEFAカップでは決勝に進出したがロシアのCSKAモスクワに敗れた。
2018年4月にはヨーロッパリーグ準々決勝・アトレティコ・マドリード戦での敗戦によりブルーノ・デ・カルバリョ会長がFacebook上で個々の選手を批判する内容の投稿をした。翌日、キャプテンのルイ・パトリシオやウィリアム・カルバリョなど19人の選手がインスタグラムに共同声明を投稿。「我々は、チームのために必死にプレーしているが、リーダーからの支援が欠けている」と、会長に対して反論する事態になり、これに激怒したデ・カルバリョ会長は、フェイスブック上で「我慢の限界だ。このメッセージに署名した選手は、即刻出場停止にする」と、主力選手への処分を発表。結局ジョルジェ・ジェズス監督が会長と話し合った結果、選手の出場停止処分は取り下げられた [2]。
2018年5月、フーリガン約50人が練習場を襲撃し、選手やスタッフを襲撃する事件が発生した[3]。これによりバス・ドストらが負傷した。また、この事件の影響により、主力選手やユースから所属していたルイ・パトリシオ、ウィリアム・カルヴァーリョ、ジェルソン・マルティンスら主力選手やユースから所属していた選手が退団した。
2020年、有望な若手監督と目されていたルベン・アモリムを、SCブラガから高額の違約金を支払って獲得[4]。初年度からチームの期待に応え、2020-21シーズンでは19年ぶりにプリメイラ・リーガ優勝を果たした[5]。
シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | リーグ杯 | 欧州カップ | |||||||||
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ディビジョン | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | |||||
2000-01 | プリメイラ | 3位 | 34 | 19 | 5 | 10 | 56 | 37 | 62 | 準決勝敗退 | — | CL | GS敗退 |
2001-02 | 1位 | 34 | 22 | 9 | 3 | 74 | 25 | 75 | 優勝 | UC | 3回戦敗退 | ||
2002-03 | 3位 | 34 | 17 | 8 | 9 | 52 | 38 | 59 | 準々決勝敗退 | CL UC |
予選3回戦敗退 1回戦敗退 | ||
2003-04 | 3位 | 34 | 23 | 4 | 7 | 60 | 33 | 73 | ベスト32 | UC | 2回戦敗退 | ||
2004-05 | 3位 | 34 | 18 | 7 | 9 | 66 | 36 | 61 | ベスト16 | UC | 準優勝 | ||
2005-06 | 2位 | 34 | 22 | 6 | 6 | 50 | 24 | 72 | 準決勝敗退 | CL UC |
予選3回戦敗退 1回戦敗退 | ||
2006-07 | 2位 | 30 | 20 | 8 | 2 | 54 | 15 | 68 | 優勝 | CL | GS敗退 | ||
2007-08 | 2位 | 30 | 16 | 7 | 7 | 46 | 28 | 55 | 優勝 | 準優勝 | CL UC |
GS敗退 準々決勝敗退 | |
2008-09 | 2位 | 30 | 20 | 6 | 4 | 45 | 20 | 66 | ベスト32 | 準優勝 | CL | ベスト16 | |
2009-10 | 4位 | 30 | 13 | 9 | 8 | 42 | 26 | 48 | 準々決勝敗退 | 準決勝敗退 | CL EL |
プレーオフ敗退 ベスト16 | |
2010-11 | 3位 | 30 | 13 | 9 | 8 | 41 | 31 | 48 | ベスト16 | 準決勝敗退 | EL | ベスト32 | |
2011-12 | 4位 | 30 | 18 | 5 | 7 | 47 | 26 | 59 | 準優勝 | 3回戦敗退 | EL | 準決勝敗退 | |
2012-13 | 7位 | 30 | 11 | 9 | 10 | 36 | 36 | 42 | ベスト64 | 3回戦敗退 | EL | GS敗退 | |
2013-14 | 2位 | 30 | 20 | 7 | 3 | 54 | 20 | 67 | ベスト32 | 3回戦敗退 | — | ||
2014-15 | 3位 | 34 | 22 | 10 | 2 | 67 | 29 | 76 | 優勝 | 3回戦敗退 | CL EL |
GS敗退 ベスト32 | |
2015-16 | 2位 | 34 | 27 | 5 | 2 | 79 | 21 | 86 | ベスト16 | 3回戦敗退 | CL EL |
プレーオフ敗退 ベスト32 | |
2016-17 | 3位 | 34 | 21 | 7 | 6 | 68 | 36 | 70 | 準々決勝敗退 | 3回戦敗退 | CL | GS敗退 | |
2017-18 | 3位 | 34 | 24 | 6 | 4 | 63 | 24 | 78 | 準決勝敗退 | 優勝 | CL EL |
GS敗退 準々決勝敗退 | |
2018-19 | 3位 | 34 | 23 | 5 | 6 | 72 | 33 | 74 | 優勝 | 優勝 | EL | ベスト32 | |
2019-20 | 4位 | 34 | 18 | 6 | 10 | 49 | 34 | 60 | 3回戦敗退 | 準決勝敗退 | EL | ベスト32 | |
2020-21 | 1位 | 34 | 26 | 7 | 1 | 65 | 20 | 85 | ベスト16 | 優勝 | EL | プレーオフ敗退 | |
2021-22 | 2位 | 34 | 27 | 4 | 3 | 73 | 23 | 85 | 準決勝敗退 | 優勝 | CL | ベスト16 | |
2022-23 | 4位 | 34 | 23 | 5 | 6 | 71 | 32 | 74 | 3回戦敗退 | 準優勝 | CL EL |
GS敗退 準々決勝敗退 | |
2023-24 | 位 | 34 | 準決勝敗退 | EL | ベスト16 |
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
上流階級によって作られたクラブだけあって、創設初期にはテニスや乗馬の他に、社交パーティやピクニックなども行われていた。
現在はハンドボール、陸上競技、フットサル(スポルティングCP)、体操競技、水泳、卓球、ビリヤード、フルコンタクト空手、重量挙げ、ローラーホッケー、柔術、空手、アマチュアレスリング、スポーツフィッシング、水球、ボクシング、テコンドー、柔道、クラヴ・マガ、カポエイラ、射撃、アーチェリー、チェス、サイクルロードレースの部門を持つ。
著名な選手に、陸上では1984年ロサンゼルス五輪男子マラソンで金メダルを獲得したカルロス・ロペスを筆頭にフェルナンド・マメーデ、フランシス・オビクウェル、ルイ・シルバ、ナイデ・ゴメス、自転車ではジョアキン・アゴスティーニョがいる。
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