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ライナー・アレン・クルーズ・モンテロ(Rhiner Allen Cruz Montero, 1986年11月1日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。
楽天時代、西武ドームにて(2014年) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
ドミニカ共和国 スペイン (二重国籍)[1] |
出身地 |
ドミニカ共和国 サントドミンゴ |
生年月日 | 1986年11月1日(37歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 アマチュアFA |
初出場 |
MLB / 2012年4月7日 NPB / 2014年6月11日 |
最終出場 | NPB / 2015年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | スペイン |
WBC | 2013年、2017年予選、2023年予選 |
この表について
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2003年にアマチュア・フリーエージェントでデトロイト・タイガースと契約してプロ入り。
2004年と2005年はルーキーリーグであるガルフ・コーストリーグ(GCL)のGCLタイガースでプレーした。
2007年2月15日にニューヨーク・メッツと契約した[3]。
母親がスペインでヘルパーとして働いていたことからスペインのパスポートを得て、2008年の北京オリンピック野球世界最終予選と2009年のIBAFワールドカップにはスペイン代表として出場した[1]。
2009年はA級サバンナ・サンドナッツで55試合に登板し、3勝3敗22セーブ、防御率1.92という好成績を記録した[4]。
2010年はA+級セントルーシー・メッツで50試合に登板し、0勝5敗6セーブ、防御率3.46という成績だった[4]。
2011年はA+級セントルーシーで8試合、AA級ビンガムトン・ランブルポニーズで36試合の合計44試合に登板し、5勝3敗7セーブ防御率3.89という成績だった[4]。
2011年11月8日に開催されたルール・ファイブ・ドラフトにおいて、ヒューストン・アストロズから全体1位で指名されて移籍した[3]。
2012年は開幕をメジャーで迎え、4月7日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビューを果たした。中継ぎとして52試合に登板し、1勝1敗、防御率6.05という成績を残した[4]。
2013年、第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)本戦にスペイン代表として出場した。12月23日に40人枠から外れ、AAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ降格した[5]。
2014年6月4日にNPBの東北楽天ゴールデンイーグルスと1年契約を結んだことを発表した。背番号は49。[6]。当初は先発での起用を想定していた[7]が、6月9日に救援要員として、来日後初の一軍出場選手登録[8]。来日初の一軍公式戦登板になった6月11日の東京ヤクルトスワローズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)では、救援で1回を無失点に抑えた[9]。
2015年1月5日に楽天と契約を締結し、この年も楽天でプレーすることになった[10]。開幕から1度抹消はあったものの、18試合連続無失点を記録するなど、勝ちパターンの一角を担った。8月1日には来日初セーブをマークし、防御率は0点台中盤をキープしていたが、疲れからか打ち込まれることが多くなり、9月と10月で10.1回を投げ、11失点と成績が悪化した。それでも一ヶ月離脱しながらも、チーム5位の52試合に登板し、チームを支えた。10月31日、球団から戦力外通告を受けたことが発表された[11]。
2016年4月30日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約するが、7試合の登板で5失点を喫して5月15日に解雇となる。5月18日にラグナ・カウボーイズと契約するが、移籍後初登板で2四球2失点を喫し、1試合の登板で22日に解雇となった。
2016年12月1日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4]。2017年はメジャー昇格はなくAAA級グウィネット・ブレーブスに所属した[4]。オフの11月6日にFAとなった[4]。
2018年1月25日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4]。シーズンでは開幕を傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで迎え、7月4日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。7月4日のニューヨーク・メッツ戦で5シーズンぶりとなるメジャー登板を果たした[13]。オフの11月2日にFAとなった[4]。
2021年7月8日にイタリアの野球リーグであるセリエAのネットゥーノ・ベースボールクラブ1945と契約した。[14]。4試合(6イニング)に登板し、0勝1敗1セーブ、防御率0.00という成績だった。
2022年6月23日にメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツと契約した[4]。また9月に開催された第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選にスペイン代表として出場した。
投球フォームはサイド気味のスリークォーターで、94-97mphのフォーシームが全投球の約2/3を占める。変化球はスライダーが中心で、対左打者にはチェンジアップも投げる(※データは2012年のPITCHf/x)[15]。マイナー時代にはスピードガンで最速99mph(約159km/h)を計測した[1]。楽天入団後の本人の弁によれば、AAA級オクラホマシティに在籍していた2014年の序盤に、自己最速の102mph(約164km/h)を記録したという[16]。
ちなみに、楽天での一軍初登板になったヤクルト戦では155km/hを計測[9]。2番手投手として登板した2014年7月23日の埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、来日後最速の159km/hを記録している[17]。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | HOU | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 253 | 55.0 | 65 | 8 | 29 | 0 | 2 | 46 | 3 | 0 | 38 | 37 | 6.05 | 1.71 |
2013 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | .000 | 98 | 21.1 | 25 | 2 | 11 | 0 | 2 | 10 | 1 | 0 | 9 | 8 | 3.38 | 1.69 | |
2014 | 楽天 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 9 | .500 | 136 | 29.1 | 34 | 2 | 17 | 0 | 1 | 24 | 2 | 0 | 13 | 13 | 3.99 | 1.74 |
2015 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 20 | .250 | 218 | 49.0 | 40 | 2 | 29 | 1 | 4 | 42 | 0 | 0 | 19 | 17 | 3.12 | 1.41 | |
2018 | TOR | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 15 | 3.1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2.70 | 1.50 |
MLB:3年 | 74 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | .250 | 366 | 79.2 | 93 | 10 | 42 | 0 | 4 | 60 | 5 | 0 | 48 | 46 | 5.20 | 1.69 | |
NPB:2年 | 81 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 1 | 29 | .375 | 354 | 78.1 | 74 | 4 | 46 | 1 | 5 | 66 | 2 | 0 | 32 | 30 | 3.45 | 1.53 |
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