岐阜県立斐太高等学校
岐阜県高山市にある高等学校 ウィキペディアから
岐阜県高山市にある高等学校 ウィキペディアから
岐阜県立斐太高等学校(ぎふけんりつ ひだこうとうがっこう)は、岐阜県高山市に所在する県立高等学校である。
岐阜県立斐太高等学校 | |
---|---|
北緯36度9分25.9秒 東経137度15分29.2秒 | |
過去の名称 |
高山中学校 岐阜県斐太尋常中学校 岐阜県斐太中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜県 |
学区 | 全県学区 |
校訓 | 切磋琢磨、確乎不抜 |
設立年月日 | 1886年 |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科(7学級) |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D121220300016 |
高校コード | 21159B |
所在地 | 〒506-0807 |
岐阜県高山市三福寺町736 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
1886年(明治19年)5月17日開校。岐阜県内で2番目に歴史のある公立高校である。通称は斐高(ひこう)。「斐太」は万葉集で飛騨国を意味する。
校章である蜻蛉章(せいれいしょう)は当時図画科の担当であった田島稲三によって考案された。大町桂月・幸田露伴に高く評価されたと伝えられている。
伝統的な詰襟の学生服、セーラー服が指定されている。なお、性別による指定はないため、男子がセーラー服、女子が学生服の着用をしても良い。
制定は1908年(明治41年)で、岐阜県下でも古くから残っている校歌である。生徒が流行歌を歌わないように、というのが校歌の誕生したきっかけである。作詞は当時の国語教師、今村勝一。作曲は楠美恩三郎。歌詞は乗鞍岳や宮川などの風景を織り込みながら学校の校訓などを歌っており、学校名が全く入っていない。そのため、旧制中学から新制高校に変わってからも、変わらずに歌い継がれている。
運動系部活動では陸上競技部を筆頭に硬式野球部・弓道部・バスケットボール部、文化系部活動では軽音部・美術部・放送部を筆頭に科学部・写真部など文武をとわず活躍する部活動が多い。
特にここ数年、陸上競技部はインターハイへ、美術部、放送部、軽音部は全国総合文化祭へ出場しており、これらの部は県内でも強豪校と目されている。 硬式野球部は第97回全国高等学校野球選手権岐阜大会で初めて飛騨地方の高校から決勝へ進出し準優勝となった。
|
|
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.