川口 敬次郎(かわぐち けいじろう、1919年6月15日 - 1991年11月29日[2])は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)。旧姓:岡本[3]。
来歴・人物
熊本工業(現・熊本県立熊本工業高等学校)在学中には、甲子園に1回(夏1回〈1937年〉)出場[4]。この大会では川上哲治(同級生でもあった。のち巨人)の控え投手という立場であったが、チームの準優勝に貢献した。準優勝時のメンバーには川上の他、吉原正喜,鈴木田登満留(2人とも巨人)がいる。
熊本工業卒業後は、中島飛行機製作所→西日本鉄道硬式野球部と社会人野球のチームに所属。1948年の第19回都市対抗野球大会では、控え投手としてチームの優勝に貢献。この時のチームメイトには、武末悉昌投手・伴勇資捕手・上野義秋一塁手・宮崎要監督兼二塁手・深見安博三塁手・千頭久米夫遊撃手・塚本悦郎中堅手・大崎憲司右翼手がおり、後に西鉄の草創期を形成するメンバーとなった。
1950年にこの年新設された西鉄クリッパースに投手として入団。しかし制球難に苦しみ、プロ通算で未勝利に終わった。1951年に阪急ブレーブスに移籍し、同年限りで引退した。阪急所属時代の1951年9月23日、西鉄戦(後楽園スタヂアム)ではかつての同僚だった千頭から、プロ野球通算5,000号となるメモリアルアーチを打たれている(プロ野球記念本塁打一覧参照)。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別打撃成績
背番号
- 11 (1950年)
- 15 (1951年)
脚注
外部リンク
関連項目
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