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この項目では、文化放送アナウンサーについて記述しています。映画の登場人物の同名の人物については「転校生 (映画)#出演者」をご覧ください。 |
斉藤 一美(さいとう かずみ、1968年3月24日[1] - )は、文化放送のアナウンサーで、同局のアナウンス部副部長。山形テレビアナウンサーの斉藤佑太は息子に当たる[2]。
概要 さいとう かずみ斉藤 一美, プロフィール ...
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- 山中恒の児童文学で、後に何度も映像化された『おれがあいつであいつがおれで』(1979年度に旺文社『小6時代』にて連載。奇しくも同年度の斉藤は小学6年生)のヒロインと同姓同名である。
- 子供の頃、最初になりたかった職業は外科医。祖母が手術したのにもかかわらず、亡くなったことで「どんな病気も治せる医者になりたい」と思い出したことからである。ただし、医者は大学など学んでいく過程で多額の資金が必要だと知ったことから挫折[6]し、朗読を褒められたり、人前で歌うことが好きだったことから、歌手や俳優になりたいとも思うようになる。しかし、鏡を見て「こんな顔では…」と思ったことから、小学5年生の頃に諦めた[6]。その頃、アナウンサーとして、久米宏や古舘伊知郎に憧れ、中学2年生の頃から『吉田照美のてるてるワイド』を聴き出したことから、吉田照美にも憧れるようになり、「アナウンサーなら、こんな顔でもなれる」と思い出したことから、アナウンサーを目指すようになる[6]。
- 高校時代はラグビーをやっていた[6]。助っ人として出た(ラグビー部の補欠は相撲部に駆り出される伝統であった)相撲の都大会で準優勝し、関東大会で2回戦まで進出した[5]。
- 大学進学後もアナウンス研究会などに所属することはせず、高校生時代から引き続き、ラグビーサークルに所属[6]。就職活動を始めるに当たり、アナウンスの勉強を全くしていなかったことに気付き、愕然とした[6]。TBSや日本テレビなどを受験したこともあったが落選[6]した。そんな中、文化放送アナウンス講習会のことを知り、参加。入社のきっかけを掴むようになる[6]。
- 大の埼玉西武ライオンズファンであり、文化放送に入社した理由は「『文化放送ライオンズナイター』を実況するため」と豪語する。元来、読売ジャイアンツのファンで[18]、文化放送入社後に鞍替えした。1999年4月7日の対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)、松坂大輔の初登板試合でライオンズナイターでの実況デビューを果たしている[12]。
- かなりの泣き虫で、とんカツワイド最終回や、1998年に千葉ロッテマリーンズが18連敗を喫した時(黒木知宏がオリックス・プリアムに9回裏2死から同点本塁打を浴び、連敗阻止が消えた瞬間)・2002年8月16日の対大阪近鉄バファローズ戦で、西武ライオンズが3回表終了時点で0-9のビハインドを逆転して勝利しマジック34が点灯した時・2012年4月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦で9回表2アウト満塁から米野智人が逆転満塁本塁打を打った時に号泣している。2006年に母校・早稲田実業が第88回全国高等学校野球選手権大会で優勝した際は現地取材を担当したが、その時も号泣している[19]。また、斉藤一美のS/N/A/Pでは「泣かせる話」を聴取者から募り、斉藤を大泣きさせるという企画があった。
- とんカツワイドの最終回で番組の最初から最後まで、泣きっぱなしだったことについては「悔し涙だった」と話している。同番組に吉田照美をゲストに迎えた時、吉田から「チャンスの波は必ずやってくる。その波を掴められるかどうかで、その人の人生が決まる。だから、掴められるように頑張れ」と言われ、この言葉を踏まえ「(とんカツワイドの)最後の1年で喋り手として一段、ステップアップした感覚があり、ようやく波を掴むことが出来た。最初から、その波を掴んで、毎回が最終回のつもりで真面目に向き合った喋りをすることが出来たら、番組が長続きしたかも知れないのに」と思ったとの事。同番組の第1回目も泣いて始まったとも語った[6][18]。
- さまぁ〜ずの大竹一樹とは小学校、中学校の同級生である[3]。
- 自称プロレスマニア。「うるわしの夜」で鬼嫁のイメージがついている北斗晶に「デンジャラスクイーン」と言われていた頃の話を聞いたり、蝶野正洋、武藤敬司を独断で呼ぶなど同時間帯(午後6時台)ではあまりターゲットとしていない層の人を呼ぶなどしている。
- ポケットモンスターシリーズ、ドラゴンクエストIX 星空の守り人、ONE PIECEにはまっていることを公言している。また、ブログでは映画やテレビドラマ、小説などの感想もつづっている。
- SMAPのファンであることを公言している。SMAPの解散が決まった後の2016年12月14日に、文化放送のSMAPのラジオ番組『STOP THE SMAP』の25年の歴史を振り返る3時間の生特番『STOP THE SMAP 25周年スペシャル!』のパーソナリティを務めた[20]。解散後も『新しい地図』の主演映画[21]、草彅剛主演の舞台[22]、香取慎吾が開催した個展を鑑賞している[23]。
- 2017年4月から5年間にわたってキャスターを務めてきた『SAKIDORI!』への思い入れは強く、番組の終了とスポーツ担当への復帰を2022年2月11日の放送で発表した際には、「文化放送の長寿番組に育て上げたうえで、アナウンサー生活の引退と同時に番組を終わらせたかった」「『この番組が終わったら、スポーツアナウンサーに戻ればいいや』と思ったことは、5年間で一度もなかった」と述懐。「自分の名前が入った平日帯の冠ワイド番組が終わることは(自分をプロ野球選手に例えられたら)『一時的な戦力外通告』と同じ意味を持つ。それでも、『SAKIDORI!』の終了を(上層部から)告げられた翌日に、付き合いの長い上司から『スポーツ(中継の現場)に戻って来い』と声を掛けられたことが胸の奥にまで沁みるほど嬉しかった」とも語っている[13]。
- 『吉田照美のてるてるワイド』のリスナーだった頃に、同番組の金曜日のコーナー『ルミちゃん・ザ・ものまね』に電話出演し、プロレスファンであったことから、藤波辰爾の息づかいとタイガー・ジェット・シンの息づかい、最後に水谷豊の息づかいという「三段落ち」で物真似を演じた。斉藤曰く「照美さんはプロレスにあまり詳しくなかったのか最初はウケが良くなかったが、水谷豊さんで笑ってくれた」とのこと[6]。
- レポーターとして、熱狂的な千葉ロッテマリーンズファンの陣取る外野スタンドで、多くの取材をしてきた関係から、マリーンズへの思い入れも強い。
- ライオンズナイターでの実況デビュー前から『NACK5 SATURDAY&SUNDAY LIONS』の実況もしていた。
- 2000年代後半、斉藤はほぼ月1回の割合で「ホームランナイター」での巨人戦を実況する事があったが、彼が実況した試合において、巨人が勝った事はあまりない。このため「斉藤一美が、巨人戦を実況すると、巨人は勝てない」と言われている。本人はブログで「ハッハッハ (☆▽☆ )片腹痛いわ!それは巨人ではないぞっ!西武ですって°・(ノД`)・°・」と否定している[24]。
- 『NACK5 SATURDAY&SUNDAY LIONS』を担当していた際は、ゲストに渡辺美里を迎えた時に、斉藤の野球実況で盛り上がったきっかけとして、渡辺美里の西武スタジアムライブに特別出演し、渡辺美里の楽曲(アルバム)の中でも実況をしている。文化放送が、2005年の西武スタジアムファイナルライブの特別番組を放送した時の聞き手も、斉藤だった。
- 2006年8月、母校である早稲田実業学校が夏の甲子園で優勝した際、阪神甲子園球場にレポートに行き、母校の優勝に感動し号泣。その様子が『吉田照美のやる気MANMAN!』内で放送された。
- Wikipediaの当項目(本人)もしくは、その担当番組の項目をチェックしていると思われる発言が、ブログや番組内でなされることがある[要出典]。
- プロ野球ファミスタオンラインの全国大会では、実況を行っている(ゲーム内に実況が収録されているのではなく、ゲーム画面を見ながら生実況を行う)。
- 2010年に日本野球機構のwebサイトにおいて、「最高の試合」に2008年の日本シリーズ第7戦、「名場面・名勝負」に前述の松坂大輔デビュー戦の1回裏、片岡篤史を三振に取った瞬間を挙げている。どちらも実況を担当した試合である[25]。
- 2012年に「スポーツアルバム中島裕之III」において埼玉西武ライオンズ中島裕之の2012年について寄稿した。
- 実況アナウンサーとしての技量を買われ、台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』では台湾全島大会の決勝戦ラジオ中継の実況アナウンサー役を務めた[26]。
注釈
『文化放送ライオンズナイター』2021年レギュラーシーズンの中継は既に終了していたが、同局では斉藤の実況とは別に、北海道放送(日本ハムの地元ラジオ局)への裏送り向けに制作した中継で土井悠平が実況を担当していた。
ライオンズナイターは上記の理由により、ほぼ毎週1回、実況を担当していた。2008年以降はホームランナイターのチーフ プロデューサーとして、ホームランナイターの実況機会も多かったが、2011年度、2012年度は裏送りや予備カード、西武戦デーゲームのWeb実況が中心であった。2013年度より、ホームランナイターの実況機会が増加していた。
ライオンズナイターは2011年度のプロデューサーも担当。30周年記念として、様々な企画を立案した。
関西地区では朝日放送ラジオ・MBSラジオがどちらもJRN・NRNのクロスネット局であることから、火 - 木曜日はMBSベースボールパーク(MBSラジオ)がNRNナイターに参加し、同カードでニッポン放送とネットを組んでいるためである。なお、朝日放送ラジオがNRNナイターに参加してニッポン放送とネットを組む月・金曜日の場合、MBSラジオは2018年から2021年までヤクルト・ロッテ主催の阪神戦を自社制作で対応していた(西武主催は文化放送からのネットで、DeNA主催は朝日放送ラジオと持ち替えてニッポン放送とのネットとするか、TBSラジオからのネットとするかのいずれかで対応)。同局はNRNでは「FOLネット」(JRN・NRN発足前のニッポン放送・RKB毎日放送との局間ネット)などの歴史的経緯からニッポン放送との関係を優先しているが、前記のカードで自社制作の見送りが発生した2022年は月曜日と金曜日を文化放送の制作としている。
2022年5月18日に朝日放送ラジオ向けのヤクルト対阪神戦を担当した際には、他球場速報でTBSラジオ・JRNの速報チャイムを使用した。
同様の理由で、JRN単独加盟局向けの巨人主催分の大半とJRN・NRNクロスネット局の中国放送向けの土・日曜の巨人・ロッテ主催デーゲームはRFラジオ日本が、土・日曜の西武・ロッテ主催分とナイターの巨人主催の一部はニッポン放送が担当している。
出典
月刊ラジオパラダイス 1990年6月号「全国新人アナウンサー特集’90」(p.16)