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藤田進

1912-1990, 俳優。 ウィキペディアから

藤田進
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藤田 進ふじた すすむ[出典 1]1912年明治45年〉1月8日[出典 2] - 1990年平成2年〉3月23日[6][5]は、日本俳優である。

概要 ふじた すすむ 藤田 進, 生年月日 ...

昭和期において、黒澤明監督作品の主演を多数務めるなど、日本映画界の大スターの一人であった。戦時中は戦意高揚映画に、戦後も戦争映画に多く出演した[2]

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来歴

要約
視点

出生 - 映画界へ

1912年(明治45年)1月8日、福岡県[4]久留米市[1]京町に生れる。

1929年(昭和4年)に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後上京し大学を受験するも失敗、帰途京都に立ち寄り、市川右太衛門プロダクション(右太プロ)で古海卓二助監督を務めていた郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められる。

1930年(昭和5年)これが縁となって、右太プロに入り、エキストラとして出演する。

1931年(昭和6年)、東亜キネマに入るも芽が出ず。

1932年(昭和7年)に兵役につき、第12師団砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年(昭和8年)に横須賀陸軍重砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。

1934年(昭和9年)にマキノ正博の京都映音に録音係として入社するが、翌年には解雇される(後述)。

東宝へ

1939年(昭和14年)、再び俳優として立つことを決意して東宝ニューフェイス入社[4]。当初は大部屋俳優だった。

1940年(昭和15年)、『妻の場合』で入江たか子高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。

1941年(昭和16年)、『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用される。

1943年(昭和18年)には黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演[1]。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』の加藤建夫陸軍中佐役をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演[1][3]、軍人俳優として確固たる人気を得た。

1945年(昭和20年)、『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。

1946年(昭和21年)、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔なし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を演じ、戦後の代表作となった。

新東宝へ

1948年(昭和23年)、おりからの東宝争議大河内伝次郎長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に加わり、新東宝映画の設立に参加する。このため、東宝に残った黒澤の作品からは離れることとなった。新東宝ではメロドラマからアクション物まで多くの映画に出演した。

フリーとなる

1957年(昭和32年)からはフリーとなり、再び東宝作品を中心に、主に脇役として存在感を見せた。黒澤映画には『隠し砦の三悪人』(1958年)の脇役で復帰。その後も『用心棒』など3作に出演したが、ごくわずかな出演シーンにとどまっている。

特撮作品では司令官役が多く[出典 3]、テレビの『ウルトラセブン』にも地球防衛軍ヤマオカ長官、『帰ってきたウルトラマン』でも地球防衛庁・岸田長官としてセミレギュラー出演していた。戦記物でも、司令官や幹部の役が多い[4]

1990年(平成2年)3月23日午後8時15分に肝臓癌のため、日本赤十字社医療センターで死去(78歳没[7]

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人物・エピソード

1935年(昭和10年)、嵐寛寿郎プロダクション発声映画『活人剣荒木又衛門』(マキノ正博監督)で富士山麓でのロケに臨んだ際、当時はマイクの性能のあまり良くない時代でもあったことから、同時録音のマイク係だった藤田は一所懸命考えて道路の土の中にマイクを見えない程度に隠したが、嵐寛寿郎には「こんなもんで音が録れるか」と足蹴にされた。その晩、藤田は酔っぱらって「アラカンの奴、ぶん殴ってやる!」と怒り狂い、京都映音の関係者を驚かせた。監督のマキノは藤田を抑え、「そんなに口惜しいなら、お前も役者になり、立派なスターになってアラカンを見返してやれ」と諭し、この時はとりあえず同映画での仕事が済むと「お前、クビや」と解雇を言い渡した。その後、藤田は東宝でスターとなるが、入社までの一時期は京都千本組の笹井末三郎の世話になり、競馬の予想屋をやって食いつないでいたという[8]

東京都調布市で藤田自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、実業家としても活動した。1957年(昭和32年)には歌手デビューも果たしており、「愛のそよ風」(湯川きよ美とデュエット)、「伊豆は心のふるさとよ」、「さいはての旅愁」の計3枚を発売した。

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主な出演作品

映画

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姿三四郎』(1943年)
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加藤隼戦闘隊』(1944年)
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わが青春に悔なし』(1946年)

テレビドラマ

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レコード

  • 愛のそよ風(デュエット:湯川きよ美) 1957年
  • さいはての旅愁 1957年
  • 伊豆は心のふるさとよ 1957年

脚注

参考文献

外部リンク

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