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静岡県静岡市の旧制高等学校 ウィキペディアから
旧制静岡高等学校(きゅうせいしずおかこうとうがっこう)は、1922年(大正11年)8月静岡市に設立された官立旧制高等学校。略称は「静高」(しずこう)。
文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。仏語を第一外国語とする丙類が置かれた旧制高等学校であった。新制静岡大学の前身校の一つであり、静岡大学文理学部の構成母体となった。その後文理学部は、静岡大学人文学部(2012年に人文社会科学部に改称)と理学部に発展改組、旧制静岡高等学校の有形無形の伝統を受け継いで現在に至っている。
寄宿舎として「秀峰富士を仰ぐ」という意の「仰秀寮」が設置された。ほぼ完全な寮自治が行われ、生協に倣って、早くから自炊制度が導入された。
入学者は静岡県出身者が最も多く、東京府出身者がこれに次いだ。東京帝国大学への進学率の高さは、一高・浦高に次ぐ第3位の進路実績であり、卒業生の大部分を東京帝大生で占めていた[1]。
旧制静岡高等学校の校地は、駿府城公園(駿府城址)の北側、賤機山の東麓に位置していた。静岡大学発足後は、旧制静岡高等学校の後身である文理学部のキャンパスとして継承されたが、1968年に、静岡大学が静岡市駿河区大谷に統合移転したため、校地は廃止された。跡地は静岡市に譲渡、整備され、1985年に静岡市立城北公園が開園、静岡市立中央図書館を置くなど市民の憩いの場として現在に至っている。旧本館があった位置には、花時計があり、 旧制静岡高等学校を記念するモニュメントとして、正門のあった位置に「留魂碑」、園内には、「静陵輝像」「寮歌碑」などのモニュメントが建立されている。また、旧制静岡高等学校寄宿舎「仰秀寮」は、静岡大学仰秀寮として継承されたが、上述の統合移転後は、静岡市駿河区小鹿三丁目にある静岡大学雄萠寮に、仰秀寮で使用されていた寮名(3階「不二寮」、2階「穆寮」、1階「映寮」、4階「魁寮」、5階「悟寮」)、寮歌「地のさゞめごと」、ストームなどの伝統として継承されている。
南アルプスの茶臼岳から南西に尾根沿いに進み、易老岳からの上り坂を登りきったところに静高平がある[17]。この地名は旧制静岡高等学校山岳部が登ったことを記念して名付けられた[17]。
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