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アダルベルト・メヒア
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アダルベルト・メヒア(Adalberto Mejía, 1993年6月20日 - )は、ドミニカ共和国モンセニョール・ノウエル州ボナオ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとジャイアンツ傘下時代
2011年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約してプロ入り。契約後、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ジャイアンツでプロデビュー。13試合に先発登板して5勝2敗、防御率1.42、71奪三振を記録した。
2012年はA級オーガスタ・グリーンジャケッツでプレーし、30試合(先発14試合)に登板して10勝7敗、防御率3.97、79奪三振を記録した。
2013年はA+級サンノゼ・ジャイアンツとAAA級フレズノ・グリズリーズでプレーし、2球団合計で17試合に先発登板して7勝4敗、防御率3.33、91奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。
2014年はAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズでプレーし、22試合(先発21試合)に登板して7勝9敗、防御率4.67、119奪三振を記録した。オフの11月には興奮剤使用が発覚し、2015年の開幕から50試合の出場停止となる処分を科された[1]。
2015年もAA級リッチモンドでプレーし、7試合に先発登板して2勝2敗、防御率3.48、26奪三振を記録した。オフには2年ぶりにアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした。
2016年は開幕からAA級リッチモンドとAAA級サクラメント・リバーキャッツ[2]でプレー。また、7月にはオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
ツインズ時代
2016年7月28日にエドゥアルド・ヌニェスとのトレードで、ミネソタ・ツインズへ移籍した[3]。移籍後は傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ配属された後、8月20日にメジャー初昇格した[4]。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューしたが、2.1回を投げて2失点を喫した[5]。この年メジャーではこの1試合の登板に登板にとどまり、防御率7.71だった。
エンゼルス時代
2019年7月20日にウェイバー公示を経てロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した[7]。7月26日にDFAとなった[8]。
カージナルス時代
2019年7月30日にウェイバー公示を経てセントルイス・カージナルスへ移籍した[9]。8月6日にDFAとなった[10]。
エンゼルス復帰
2019年8月8日にウェイバー公示を経てエンゼルスへ移籍した[11]。8月20日にDFAとなり[12]、マイナー契約で傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズへ配属された。9月1日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[13]。
2020年1月7日にジェイソン・カストロの加入に伴ってDFAとなり[14]、10日に自由契約となった[15]。
エンゼルス退団後
2020年1月21日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。8月24日に自由契約となった[15]。
富邦時代
2021年5月20日、台湾プロ野球の富邦ガーディアンズと契約したことが発表された[16]。9月29日に、家庭の事情により解雇された[17]。
独立リーグ時代
その後は無所属の状態が続いたが、2025年は独立リーグ・アトランティックリーグのスタテンアイランド・フェリーホークスでプレーした[18]。
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投球スタイル
平均92.7mph(約149.2km/h)のフォーシームが約4割を占め、変化球ではスライダーを最も多く投げる。他には時折、チェンジアップやツーシームを投げることがある[19]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2019年度シーズン終了時
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2016年)
背番号
- 49(2016年 - 2019年7月25日、2019年8月9日 - 同年8月19日、2019年9月1日 - 同年終了)
- 68(2019年8月3日 - 同年8月5日)
- 63(2021年7月12日 - 同年9月29日)
脚注
関連項目
外部リンク
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