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アーロン・ハラング

アメリカの野球選手 (1978-) ウィキペディアから

アーロン・ハラング
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アーロン・マイケル・ハラングAaron Michael Harang, 1978年5月9日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

1996年MLBドラフトボストン・レッドソックスから22巡目(全体661位)指名されたが、契約せずサンディエゴ州立大学へ進学した。

プロ入りとレンジャーズ傘下時代

1999年MLBドラフトテキサス・レンジャーズから6巡目(全体195位)指名され、6月7日に契約。この年は傘下のルーキー級プラスキ・レンジャーズで16試合(先発10試合)に登板し、9勝2敗1セーブ、防御率2.30だった。

2000年はA+級シャーロット・レンジャーズで28試合(先発27試合)に登板し、13勝5敗、防御率3.32だった。

アスレチックス時代

2000年12月12日にランディ・ベラーディとのトレードで、ライアン・カレンと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した。

2001年はAA級ミッドランド・ロックハウンズで27試合に先発登板し、10勝8敗、防御率4.14だった。

2002年はAA級ミッドランドで開幕を迎えたが、5月25日にアスレチックスとメジャー契約を結び、同日のタンパベイ・デビルレイズ戦でメジャーデビュー。7回を無失点10奪三振に抑え、ティム・ハドソンに次ぐオークランド移転後の球団史上2人目となる2桁奪三振を奪った投手となった[1]。メジャー2試合目の6月3日の登板では4回まで無失点に抑え、メジャーデビューから11回連続無失点を記録し、1978年ジョン・ジョンソンが記録したデビューから10回連続無失点のオークランド移転後の球団記録を更新[1]7月23日にAAA級サクラメント・リバーキャッツへ降格した[2]が、翌日の24日にテッド・リリー故障者リスト入りしたため、メジャーへ再昇格した[3]。その後は6試合に登板したが、8月26日にAAA級サクラメントへ降格。9月4日に再昇格した[4]。この年は16試合(先発15試合)に登板し、5勝4敗、防御率4.83だった。

2003年3月20日にAAA級サクラメントへ異動し[5]、開幕を迎えた。AAA級サクラメントで9試合に登板後、5月24日にメジャーへ昇格[6]。7試合(先発6試合)に登板したが、1勝3敗、防御率5.34と結果を残せず、7月16日にAAA級サクラメントへ降格した[7]

レッズ時代

2003年7月30日にホセ・ギーエンとのトレードで、ジョー・バレンタインと共にシンシナティ・レッズへ移籍[8]。移籍後は傘下のAAA級ルイビル・バッツで1試合に登板後、8月9日にメジャーへ昇格。レッズでは9試合に先発登板し、4勝3敗、防御率5.28だった。

2004年2月27日にレッズと1年契約に合意。開幕ローテーションに加わったが、6月4日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。6月26日に復帰。この年は28試合に先発登板し、チーム2位の10勝(9敗)を記録し、防御率4.86だった。

2005年には防御率3.83、11勝、163三振を記録しいずれもチーム1位だった[9]。また、投手としての連続打席無安打の記録を更新しそうになった。MLB記録は1991年アンディ・ベネスによる50打数無安打だが、ハラングは49打数無安打まで達した[10]

2006年1月17日にレッズと1年契約に合意し、初の開幕投手を務めた。この年は36試合に登板(先発はリーグ最多の35試合)し、リーグ1位タイの16勝、奪三振は球団史上13年ぶりに200の大台を上回り[11]ジェイク・ピービーを1つ上回るリーグ最多216三振を記録した。1956年にサイ・ヤング賞が制定されて以降、最多勝最多奪三振のタイトルを同一年に記録したナ・リーグの投手11人全員がサイ・ヤング賞を受賞しているが、過小評価されており[12][13]、投票では0ポイント。

2007年2月6日に総額3650万ドルの4年契約[14](2011年・1275万ドルの球団オプション付き[15])を結んだ[16][17]。7月23日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では10回まで投げ、チームは延長12回に2-1で勝利。ナ・リーグで1試合に10回以上投げたのは2005年4月23日のマーク・マルダー以来2年ぶりだった[18]。この年は34試合に先発登板し、自己最多タイの16勝を記録し、奪三振は自己最高の218を記録した。

2008年は30試合(先発29試合)に登板し、6勝17敗(リーグ最多敗戦投手)、防御率4.78だった。

2009年は26試合に先発登板し、6勝14敗、防御率4.21だった。

2010年は22試合(先発20試合)に登板し、6勝7敗、防御率5.32だった。4年契約の1年目こそ活躍したものの、2年目には4年連続2桁勝利が途切れ、3年連続で6勝にとどまるなど期待外れに終わったため、オフの11月3日にレッズが1275万ドルのオプションを破棄し、FAとなった[19]

パドレス時代

2010年12月6日にサンディエゴ・パドレスと400万ドルの1年契約(2012年のミューチュアル・オプション付き)を結んだ[20][21]

2011年は28試合に先発登板し、4年ぶりの2桁勝利となる14勝(7敗)を記録し、防御率3.64だった。オフの10月31日にパドレスがオプションを破棄したため、FAとなった[22]。パドレスは11月23日に年俸調停を申請していた[23]が、契約には至らなかった。

ドジャース時代

2011年12月8日にロサンゼルス・ドジャースと総額1200万ドルの2年契約[24](2014年・700万ドルのミューチュアル・オプション付き[25])を結んだ[26][27]

2012年6月7日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で通算100勝を達成。この年は31試合に先発登板し、10勝10敗、防御率3.61だった。

マリナーズ時代

2013年4月6日にラモン・ヘルナンデスとのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍した[28]が、4月11日にスティーブン・ヘンスリーとのトレードでシアトル・マリナーズに移籍した[29]。移籍後は22試合に先発登板し、5勝11敗、防御率5.76と振るわず、8月26日にDFAとなり[30]、8月31日に解雇された。

メッツ時代

2013年9月2日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[31]。AAA級ラスベガス・フィフティワンズで1試合に登板後、9月8日にメッツとメジャー契約を結んだ。昇格後は4試合に先発登板し、0勝1敗、防御率3.52だった。オフの10月31日にFAとなった。

ブレーブス時代

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アトランタ・ブレーブス時代
(2014年6月13日)

2014年2月15日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[32]が、3月24日に放出され、同日にアトランタ・ブレーブスと1年契約に合意した[33]。この年は33試合に先発登板し、12勝12敗、防御率3.57だった。オフの10月30日にFAとなった。

フィリーズ時代

2015年1月5日にフィリーズと500万ドル+出来高の1年契約を結んだ[34]。同年は29試合に先発登板し、チームのスターターでは唯一、規定投球回に達した[35]。しかし、6勝に留まった一方、リーグワースト3位タイの15敗を喫し、防御率も4.86と精彩を欠いた。オフの11月2日にFAとなった[36]

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詳細情報

年度別投手成績

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タイトル

背番号

  • 56(2002年 - 2003年途中)
  • 39(2003年途中 - 2010年、2013年 - 同年途中)
  • 41(2011年)
  • 44(2012年、2013年途中 - 同年終了)
  • 34(2014年 - 2015年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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