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エリック・コマツ

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エリック・コマツ
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エリック・コマツErik Komatsu, 1987年10月1日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州カマリロ出身の元プロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...

父方の祖母が日本人で、日系3世である[1][2]

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経歴

要約
視点

プロ入り前

高校時代はデルモン・ヤングとチームメイトだった[3]。卒業後はヴァンガード・ユニバーシティ・オブ・サザン・カリフォルニアへ進学。

2007年にオックスナード大学へ編入。6月にMLBドラフト38巡目(全体1163位)でニューヨーク・ヤンキースから指名されたが拒否し、カリフォルニア州立大学フラトン校へ編入した。

2008年にはベースボール・アメリカの「2008 College All-America Third Team」に指名打者として選出された[4]

ブルワーズ傘下時代

2008年、MLBドラフト8巡目(全体248位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、6月16日に契約。ルーキー級ヘレナ・ブルワーズで68試合に出場し、11本塁打47打点8盗塁、打率.321だった。同年のパイオニアリーグのオールスターに選出された[5]

2009年はA級ウィスコンシン・ティンバーラッターズで21試合に出場し、1本塁打5打点、打率.242だった。夏期にはルーキー級アリゾナリーグ・ブルワーズで5試合に出場した。

2010年はA+級ブルバード・カウンティ・マナティーズで130試合に出場し、5本塁打63打点28盗塁、打率.323だった。同年のフロリダ・ステートリーグのオールスターに選出された[6]。9月25日にはブルワーズの「2010 Minor League Player of the Year」に選ばれた[7]

2011年はAA級ハンツビル・スターズで93試合に出場し、6本塁打40打点13盗塁、打率.294だった。

ナショナルズ傘下時代

2011年7月30日にジェリー・ヘアストン・ジュニアとのトレードでワシントン・ナショナルズへ移籍[8]。AA級ハリスバーグ・セネターズで31試合に出場し、1本塁打8打点8盗塁、打率.234だった。

カージナルス時代

2011年12月8日のルール・ファイブ・ドラフトセントルイス・カージナルスから指名され、移籍した[9]

2012年2月29日にカージナルスと1年契約に合意した[10]。自身初の開幕ロースター入りを果たし[11]、4月6日のブルワーズ戦でメジャーデビュー。9回表にカルロス・ベルトランの代打として出場し、メジャー初安打を記録した[12]。5月1日にDFAとなった[13]。カージナルスでは15試合に出場し、19打数4安打2四球、打率.211だった。

ツインズ傘下時代

2012年5月4日にウェーバーでミネソタ・ツインズへ移籍[14]。5月8日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で4回裏に犠牲フライを放ち、初打点を記録した[15]。5月27日にDFAとなった[16]。ツインズでは15試合に出場し、32打数7安打1打点4四球、打率.219だった。

ナショナルズ復帰

2012年5月29日、前所属球団のツインズによって5月27日にDFAとなったため、ルール・ファイブ・ドラフトの規定により、古巣・ナショナルズへ復帰した。AAA級シラキュース・チーフスで31試合に出場し、3本塁打14打点2盗塁、打率.269だった。

2013年はスプリングトレーニングで膝を故障し、AA級ハリスバーグで開幕を迎えた。4月23日に復帰し、7試合に出場した。5月にAAA級シラキュースへ昇格し、9試合に出場した。

2014年5月9日に放出された。

エンゼルス傘下時代

2014年5月12日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。

ブルワーズ傘下時代

2014年6月27日に、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。

独立リーグ時代

2015年3月17日に、独立リーグであるアトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約を結んだ事が発表された[17]

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 44(2012年 - 同年途中)
  • 25(2012年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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