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オリバー・ローランド
イギリスのレーシングドライバー (1992 - ) ウィキペディアから
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オリバー・エリック・ローランド(Oliver Eric Rowland, 1992年8月10日 - )は、イギリス出身のレーシングドライバー。現在はニッサン・フォーミュラEチームからフォーミュラEに参戦している。
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経歴
要約
視点
カート
イギリス(イングランド)・シェフィールドで生まれる。7歳の頃にカートを始め、イギリス各地を回り様々なクラスのカート選手権に参戦した。2002年に「スーパー1・ナショナル・カマー・カデット・チャンピオンシップ」を準優勝し、2003年から2004年にかけ同選手権連覇を果たした。2005年の「スーパー1・ナショナル・JICA・チャンピオンシップ」ではウィル・スティーブンスとの首位争いの末、僅か2ポイント差で敗れ総合2位となった。翌年の同選手権はジャック・ハーベイ(Jack Harvey)とタイトル争いを繰り広げる。しかし今度は僅か1ポイント差で敗れ2年連続となる総合2位で終えた。2006年は他にも「モナコ・カート・カップ - ICA・ジュニア」へ出場し、2位でチェッカーを受ける。「ヨーロピアン・チャンピオンシップ - ICA・ジュニア」では20位となった。
2007年は、2シーズン続けて準優勝となった「スーパー1・ナショナル・JICA・チャンピオンシップ」で2位の選手に30ポイントの差をつけて初のタイトルを獲得。三度目の正直となった。この年は、「ブリティッシュ・オープン・チャンピオンシップ・ICA・ジュニア」(3位)「第11回 CIK-FIA モナコ・カート・カップ・フォア・ジュニア KF3」(25位)「CIK-FIA ヨーロピアン・チャンピオンシップ - KF3」(37位)などに参戦した。2008年、ローランドはKF2クラスへランクアップする。トニー・カート・レーシング・チームから「CIK-FIA ワールド・カップ KF2」へ参戦が決まり、初年度でこの年のチャンピオンシップを制した。
フォーミュラ・ルノー
2010年、カートでの活動を切り上げ「フォーミュラ・ルノー シリーズ」へ活動の場を移すことになった。CRSレーシングから「フォーミュラ・ルノー UK ウィンター・シリーズ」へ参戦する。最終戦ペンブリー・サーキットレース2で初優勝を果たし総合7位で終えた。
ローランドは2011年より、「フォーミュラ・ルノー UK」の本戦へ出場しフォーテック・モータースポーツから出走した。第2戦ドニントン・パークから第3戦スラクストン・サーキットにかけて4レース連続で3位表彰台に上る。シーズン終盤には4度の優勝を果たし、アレックス・リンに次ぐ総合2位という好成績で終えた。本戦を終えて引き続き「フォーミュラ・ルノー UK ウィンター・シリーズ」の2年目を迎える。開幕戦では全体のファステストラップを記録して優勝を果たすとその後も好調さをキープし、全6レース中優勝4回・2位2回と圧倒的なパフォーマンスでタイトルを獲得する。2011年度のマクラーレン・オートスポーツ・BRDC・アワードにローランドはノミネート・選出された[1]。その特典として100,000£の賞金と、12月4日に行われるマクラーレンのF1テスト走行に参加する機会を与えられた[1]。2012年から、「ヨーロッパ・フォーミュラ・ルノー2.0」へカテゴリーを変えた。表彰台圏内3回(優勝1回)を含む総合3位で終える。翌年は「マノー・MP・モータースポーツ(Manor MP Motorsport)」へ移籍し、昨年を上回る表彰台圏内8回(優勝3回)の成績を残し順位も総合2位へ躍進した。
フォーミュラ・ルノー3.5
2014年、ローランドは「フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ」へ参戦する。フォーテック・モータースポーツに在籍し、シーズン2勝を挙げ総合4位で終える。
GP2シリーズ/FIA F2
2015年に、ローランドは第5戦シルバーストン・サーキットで「GP2シリーズ」へ参戦することが決まる。デビュー戦はMPモータースポーツより出走し、レース1・2共に10位・7位に入り初入賞を果たした[2][3]。第10戦バーレーン・インターナショナル・サーキットではステータス・グランプリから出場し最終戦まで走行した。
2年目の2016年は、MPモータースポーツへ戻りフルシーズン出場した。第2戦モンテカルロ市街地コース・レース1で3位表彰台を獲得する[4]。ランキングは総合9位で終えた[5]。
2017年度より「GP2シリーズ」は「FIA フォーミュラ2選手権」へ名称変更となった[6]。ローランドは新たにDAMSへ移籍してシーズンに挑む。
F1
2016年2月、ルノーはドライバー育成アカデミーである「ルノー・スポール・アカデミー」を設立。新たに発足するプロジェクトのメンバーの一人としてローランドが選ばれた[7]。翌年には、ルノーの開発ドライバーとして起用されることが発表される[8]。
2018年2月23日、ウィリアムズ・マルティーニ・レーシングの育成ドライバーに起用された[9]。
フォーミュラE
2015-16年シーズンの途中、レース中のクラッシュで負傷欠場することが決まったマヒンドラ・レーシングのニック・ハイドフェルドに代わり、第3戦プンタ・デル・エステE-Prix(2015 Punta del Este ePrix)でデビューした[10]。決勝は13位でフィニッシュし、ポイント獲得とはならなかった。

ニッサン・e.dams(2018-2021年)
ニッサン・e.damsからデビュー予定のアレクサンダー・アルボンがF1のスクーデリア・トロ・ロッソに急遽抜擢されたことに伴い、2018-19シーズンの正ドライバーに起用された[11]。チームメイトはセバスチャン・ブエミ。第6戦の三亜E-Prixでは初のポールポジションを獲得。決勝レースではDS・テチーターのジャン=エリック・ベルニュに交わされたものの、2位でフィニッシュして日産に初の表彰台をもたらした[12]。第8戦モナコE-Prixでも予選で最速タイムを記録し(前戦のペナルティで決勝グリッドは降格)、2位表彰台を獲得した。
2019-20シーズンも引き続きニッサン・e.damsから参戦する。
マヒンドラ・レーシング(2021-2023年)
Gen3が導入された2022-23シーズンは前半9戦で入賞が2回と低迷。モナコE-Prixを最後にチームを離脱した[13]。

ニッサン・フォーミュラEチーム(2023年-)
2023年8月30日、ニッサン・フォーミュラEチームは来季のドライバーとしてローランドを起用すると発表した。チームメイトはサッシャ・フェネストラズ[14]。第3戦のディルイーヤE-Prixでポールポジションと3位表彰台を獲得すると、チーム初の母国戦となった東京 E-Prixでもマセラティのマクシミリアン・ギュンターと首位争いを演じた。ミサノでは首位でチェッカーを受けたポルシェのアントニオ・フェリックス・ダ・コスタに技術規定違反が見つかり、繰り上がりでシーズン初勝利、通算2勝目を挙げた[15]。一方で翌日の第7戦では周回数の計算を誤り、トップを快走していた最終ラップでバッテリー残量が底を付くアクシデントにも見舞われた。
ポートランドE-Prixの2戦を体調不良で欠場し、ドライバーズタイトル争いからは脱落したものの、終盤まで安定した成績を維持。2勝を挙げてシーズンを4位で終える躍進の年となった。
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レース戦績
略歴
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ
GP2シリーズ/FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラE
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
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出典
外部リンク
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