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セバスチャン・ブエミ
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セバスチャン・オリビエ・アンベール・ブエミ(Sébastien Olivier Humbert Buemi, 1988年10月31日 - )は、スイス出身のレーシングドライバーである。
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経歴
要約
視点
フォーミュラ・BMW
カートの後に、2004年と2005年はドイツフォーミュラ・BMWに出場した。2005年シーズン終了時は総合1位であったが、シーズン終了後にレース中のブレーキテストについてのペナルティを課されチャンピオンの座を失った。
フォーミュラ・F3
2005年にスペイン・フォーミュラ3に参戦。翌年2006年にはフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦しランキング12位であった。2007年も同シリーズに継続参戦した。また、マカオグランプリとマスターズF3にも出場した。
A1グランプリ
2006-2007A1グランプリにニール・ジャニとマルセル・フェスラーと共にA1チーム・スイスより参戦し、チームランキング総合8位の成績を残した。

GP2
2007年のGP2にARTグランプリのレッドブルサポート枠で参戦していたミハエル・アメルミューラーが開幕戦で負傷したため、第2戦から代役として出場した(ユーロF3とのダブルエントリー)。
2008年はアーデン・インターナショナルからGP2シリーズ及びGP2アジアシリーズに参戦した[1]。
F1

2007年はレッドブルのリザーブ&テストドライバーであったミハエル・アメルミューラーが負傷したため、GP2のシートを引き継ぐとともにF1の仕事でも代役を務めることとなった。
2008年も引き続き、レッドブルのリザーブ&テストドライバーとして起用された[2]。
2009年はトロ・ロッソのレギュラーシートを得てF1にデビューした。スイス国籍のF1ドライバーは1994年および1995年にスポット参戦したジャン=ドゥニ・ドゥレトラーズ以来14年ぶりの誕生となる。
デビュー戦となった開幕戦のオーストラリアGPでは荒れたレース展開の中で7位入賞を果たし幸先の良いスタートを切った。第3戦の中国GPでは予選で初のQ3進出(10位)を果たすと、雨のレースとなった決勝ではチャンピオン経験者でもあるキミ・ライコネンを追い回すなどのパフォーマンスを見せた。セーフティーカー出動中にレッドブルのセバスチャン・ベッテルに追突しフロントウイングを破損する場面もあったが、速さを見せ8位入賞を果たした。その後はなかなか入賞できなかったものの、第16戦のブラジルGPでは予選で自己ベストの6位につけ、決勝でも7位に入賞した。最終戦のアブダビGPでも8位に入賞し、ドライバーズランキング16位でシーズンを終えた。
2010年もトロロッソからF1に参戦。中国GPのフリー走行1回目で、バックストレートを走行中に左右のフロントタイヤが同時に外れてしまった。幸いなことにランオフエリアが広く、大きなクラッシュにはならずに済んだ[3][4]。カナダGPでは自身初のラップリードを記録した。この年からポイントシステムの変更で10位までが入賞になったこともあり4回の入賞を記録し、前年と同じランキング16位でシーズンを終えた。
2011年も過去2年に引き続きトロ・ロッソからF1に参戦。開幕戦のオーストラリアGPでは、予選で2009年アブダビGP以来のQ3進出を果たすと、決勝でも10位でフィニッシュし、更に前でゴールしたザウバーの2台がリアウィングの車両規定違反で失格になったことで8位に繰り上がった。シーズン終盤にはマシントラブルによるリタイアが増えてしまった事も影響してか、この年はチームメイトのハイメ・アルグエルスアリにドライバーズ選手権順位で上回られてしまった。また、シーズン終了後にはレッドブルの決定により、トロ・ロッソのシートを失うことになった。
2012年はトロ・ロッソのシートは失ったもののレッドブルとの関係は継続し、レッドブル・レーシングのリザーブ&テストドライバー、及びトロ・ロッソのリザーブドライバーに起用された。
2019年も2012年から継続してきたレッドブルのリザーブドライバーを務めることとなった。シーズン前には、トロロッソのドライバー候補として名前が挙がっていたが、既に他のクラスで活躍していたこともあり、サラリーが高額という理由で選択肢から外されている[5]。2019年7月17日、シルバーストーンサーキットで行われたタイヤテストを担当。テスト終盤に高速コーナーで大きなクラッシュを喫したが本人は無事[6]。
WEC
2012年からWEC(FIA 世界耐久選手権)のLMP1に参戦するトヨタのドライバーとして起用される。以降エースドライバーとして活躍しており、2014年にはWECのドライバーズタイトルを獲得した。ル・マン24時間レースを2018年、2019年と中嶋一貴/フェルナンド・アロンソとのトリオでトヨタ・TS050 HYBRIDを駆り連覇し、トヨタ悲願のル・マン総合優勝を達成した[7][8][9]。また、2018/2019シーズンのFIA世界耐久選手権LMPドライバーチャンピオンを獲得した[7][8][9]。
フォーミュラE
2014年、新たに開催されたフォーミュラEにおいてDAMSより参戦[10]。最初となる2014-2015シーズンは最終戦までタイトルを争うも、1pt差でネルソン・ピケJr.に敗れた。
パワートレインがマルチメイクとなった2015-2016シーズンも圧倒的な速さを見せ、第4戦アルゼンチンでは最後尾から2位に入る活躍も見せた。しかし自身のミスなどで追いすがる ルーカス・ディ・グラッシに第6戦ロングビーチで逆転を許し、最終盤まで一騎打ちとなる。最終戦ロンドンではスタート直後の第一コーナーでディ・グラッシと接触しお互いに大破、決勝中でありながら予選さながらにタイムアタックして、ファステストラップの2ptsを奪い合う珍事が発生した。最終的にブエミはこの争いに勝利し、念願のドライバーズタイトルを獲得した。
2016-2017シーズンもe.damsより参戦。開幕から3連勝し前半6戦中5勝という圧倒的な成績でシーズンを独走し、ライバルのディ・グラッシが1勝止まりと遅れを取っていたこともあり連覇は確実との見方が強かった。しかし第7戦ベルリンePrix(1日目)で失格となったのをきっかけにシーズンの流れが変化。ブエミはその後第9戦・第10戦ニューヨークePrixをWEC参戦のため欠場したのち、復帰した第11戦モントリオールePrix(1日目)でも最低重量違反が発覚して失格、この間にコツコツと入賞を重ねたディ・グラッシにここでランキングを逆転されてしまう。迎えた最終戦モントリオールePrix(2日目)は予選2位ながらフリー走行2でクラッシュした際にバッテリーを交換したためグリッド降格ペナルティを受け、12番手から決勝をスタートとなったが、結局入賞すら叶わず11位フィニッシュ。結果前年もタイトルを争ったディ・グラッシがチャンピオンを獲得。最終的には6勝を挙げるも残りは全てノーポイント、「優勝か失格か入賞圏外」というこれまでと打って変わって極端な成績となった。ディ・グラッシが前年は失格を繰り返して2位になったのと同様に、奇しくも本年は自身が失格や欠場の影響でチャンピオンを逃すという正反対の結果となった。
ここまで毎期優勝とポイントリーダーを経験しており、EVレーシングのトップドライバーとして君臨している。
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人物
- 性格は極めて真面目。コンピュータの如く記憶力を持ち、過去のレースのタイムやセッティング(車高やウィング角度)に至るまで正確な数値を把握している[11]。
- 祖父は半世紀近くトヨタのディーラーを経営しており、幼い頃からトヨタ車に多く触れていた。ただし最初に運転した車はダイハツ車であった[12]。
- F1のレギュラーシートを失ってからも現場での評価は一貫して高く、2020年現在までレッドブルF1のサード及び開発ドライバーを務めている。レッドブルオーナーのクリスチャン・ホーナーは、2016年にPU供給元のルノーがF1ワークスチームを復活させた際、正ドライバーにブエミを推薦したこともあり、ドライバーが不足したトロ・ロッソに復帰するのではないかと言う噂も出た[13]。また2011年F1のオーバーテイク数ランキングは、3位の小林可夢偉を抜いて2位であった(1位はミハエル・シューマッハ)。
- 2019年もレッドブルのサードドライバーを務めたことで、トヨタ(WEC)・日産(フォーミュラE)・ホンダ(F1)と、世界選手権において日本三大自動車メーカーを同時に股にかけるという記録を作っている。
- 2010年にウォータースライダーのギネス記録を樹立している[14]。
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レース戦績
要約
視点
略歴
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ3・ユーロシリーズ
A1グランプリ
GP2シリーズ
GP2アジアシリーズ
F1
ル・マン24時間レース
FIA 世界耐久選手権
ウェザーテック・スポーツカー選手権
(key)
フォーミュラE
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関連項目
- ナターシャ・ガシュナン - ブエミのいとこ。
脚注
外部リンク
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