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コガネタイフウ
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コガネタイフウ(欧字名:Kogane Taifu、1987年6月12日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
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戦績
6月と遅生まれではあったがデビューは比較的早く、1989年9月の新馬戦で4着だった。3戦目で初勝利を挙げると、その後関東へ遠征し3戦1勝という成績を残し、阪神3歳ステークスへと出走した。12頭立ての7番人気と評価は低かったが、後にGIマイルチャンピオンシップを2勝するダイタクヘリオスをゴール前で差し切り優勝した。
1990年はきさらぎ賞から始動したが、GI優勝馬にもかかわらず重賞初挑戦のハクタイセイに1番人気を奪われる2番人気、結果も2着だった。続くペガサスステークスでは1番人気だったものの、ニホンピロエイブル(7位入線後に失格)の斜行に遭い落馬競走中止、騎乗していた田原成貴も第2・3腰椎および骨盤骨折の重傷を負い、乗り替わりを余儀なくされた。次走皐月賞では12番人気の4着と健闘するが、その後の成績は芳しいものではなかった。東京優駿(日本ダービー)10着、中日スポーツ賞4歳ステークス5着、休養を挟んで臨んだ10月のカシオペアステークスでは再び鞍上に田原成貴を迎えるも再度落馬により競走中止、鳴尾記念で6着に敗れた後故障が判明し、翌1991年を棒に振っている。
1992年に復帰するものの振るわず、1993年4月の大阪城ステークスで8着に敗れたのを最後に障害競走へと転向する。転向初戦の未勝利戦こそ大差勝ちするものの、続く2戦は1番人気を裏切る惨敗を喫し、障害でも活路を見出すことはできなかった。結局これが最後の中央競馬でのレースとなり、地方競馬へと転厩して北関東から高知へと移ったが1勝も出来ずに終わった。地方抹消後の行方は不明。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。
- 枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。内容はnetkeiba.comに拠る。
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血統表
コガネタイフウの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ミルリーフ系 |
[§ 2] | ||
父 * マグニテュード Magnitude 1975 鹿毛 |
父の父 Mill Reef1968 黒鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Milan Mill | Princequillo | |||
Virginia Water | ||||
父の母 Altesse Royale1968 栗毛 |
* セントクレスピン St. Crespin |
Aureole | ||
Neocracy | ||||
Bleu Azur | Crepello | |||
Blue Prelude | ||||
母 コガネポプラ 1980 黒鹿毛 |
カブラヤオー 1972 黒鹿毛 |
* ファラモンド Pharamond |
Sicambre | |
Rain | ||||
カブラヤ | * ダラノーア | |||
ミスナンバイチバン | ||||
母の母 セントシグマ1974 栗毛 |
Supreme Sovereign | Sovereign Path | ||
Valtellina | ||||
* デイオブレコニング | Busted | |||
Atonement F-No.7-d | ||||
母系(F-No.) | デイオブレコニング(GB)系(FN:7-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Crepello 4×5=9.38%、Nearco5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 全弟にコガネパワー(京都4歳特別、中日スポーツ賞4歳ステークス)[6]。
脚注
参考文献
外部リンク
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