トップQs
タイムライン
チャット
視点
ジョシュ・バーフィールド
ベネズエラの野球選手 (1982-) ウィキペディアから
Remove ads
ジョシュア・ラロイ・バーフィールド(Joshua LaRoy Barfield、1982年12月17日 - )は、ベネズエラ・ララ州バルキシメト出身の元野球選手。二塁手、右投右打。
父親がジェシー・バーフィールドで、弟はジェレミー・バーフィールドである。
Remove ads
経歴
プロ入り前
ジェシーが冬季リーグへ出場するため、妊娠した妻を同伴してベネズエラに渡り、彼女が同国ララ州バルキシメトでジョシュを出産した[1]。アメリカ合衆国テキサス州のクライン高校に入学。
プロ入りとパドレス時代
2001年にドラフト4巡目(全体120位)でサンディエゴ・パドレスから指名を受け、プロ入り。
2004年・2005年の2年連続でベースボール・アメリカ誌から「パドレスのトップ・プロスペクト(最有望株)」という評価を受ける[2][3]。2005年にAAA級(マイナーリーグの一番上のクラス)で打率.310・15本塁打・72打点・20盗塁という成績を残す。
2006年に、スプリングトレーニングでのマーク・ベルホーンとのポジション争いを制し、4月3日にメジャーデビュー。正二塁手として150試合に出場し、主に8番打者として打率.280・13本塁打・58打点・21盗塁を記録した。7月には打率.400で月間最優秀新人賞を受賞したが、シーズン終了後の新人王投票では得票なしに終わった。
インディアンス時代
2006年11月、ケビン・クーズマノフとアンドリュー・ブラウンの2人とのトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍した。
2007年は開幕から正二塁手として出場していたが、成績は低迷。8月途中からアズドルバル・カブレラにポジションを奪われた。
インディアンス退団後
2010年はサンディエゴ・パドレス、2011年はフィラデルフィア・フィリーズ、2012年はボルチモア・オリオールズに在籍したが、メジャーでの出場は一度もなくマイナーリーグで過ごした。
2013年は、アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスでプレーした。翌年以降の試合出場記録はない。
引退後
引退後はメジャーリーグの球団スタッフとして働いている。2016年から2023年まではアリゾナ・ダイヤモンドバックスに務め、最初の3年間はスカウト、その後は育成部門のディレクターを担当した。2023年オフにシカゴ・ホワイトソックスのGM補佐に就任した[5]。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出 2回:(2003年、2005年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads