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ジョー・ウィーランド
アメリカの野球選手 (1990-) ウィキペディアから
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ジョー・ウィーランド(英語: Joe Wieland, 本名:ジョゼフ・アンドリュー・ウィーランド(Joseph Andrew Wieland, )1990年1月21日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州リノ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレンジャーズ傘下時代
2008年のMLBドラフト4巡目(全体123位)でテキサス・レンジャーズから指名され、6月8日に契約。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・レンジャーズで13試合に登板し、5勝1敗、防御率1.44だった。
2009年はA級ヒッコリー・クロウダッズで19試合に登板し、4勝6敗、防御率5.31だった。
2010年はA級ヒッコリーで15試合に登板し、7勝4敗、防御率3.34だった。7月にA+級ベーカーズフィールド・ブレイズへ昇格。11試合に登板し、4勝3敗、防御率5.19だった。
2011年はA+級マートルビーチ・ペリカンズで14試合に登板し、6勝3敗、防御率2.10だった。6月にAA級フリスコ・ラフライダーズへ昇格。7試合に登板し、4勝0敗、防御率1.23だった。
パドレス時代
2011年7月31日にマイク・アダムスとのトレードで、ロビー・アーリンと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した[1]。移籍後はAA級サンアントニオ・ミッションズで5試合に登板し、3勝1敗、防御率2.77だった。
2012年はAAA級ツーソン・パドレスで開幕を迎えた。4月14日にパドレスとメジャー契約を結んだ[2]。同日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発起用されメジャーデビュー。5回を投げ三本の本塁打を打たれるなど、6安打6失点2四球と打ち込まれ、メジャー初黒星を喫した[3]。その後も3連敗し、5度目の登板となった5月6日の試合で右肘を故障。5月11日に15日間の故障者リスト入りした[4]。6月26日に60日間の故障者リストへ異動し[5]、7月27日にはトミー・ジョン手術を受け、残りのシーズンを全休した。この年は5試合に登板し、0勝4敗、防御率4.55だった。オフの10月29日に故障者リストから外れた。
2013年2月26日に前年の手術の影響で、60日間の故障者リストへ異動。3月9日にパドレスと1年契約に合意した[6] が、シーズン中には復帰できず、未登板のまま終わった。オフの10月25日に故障者リストから外れた[7]。
2014年3月3日にパドレスと1年契約に合意した[8]。3月29日に再び15日間の故障者リスト入りし[9]、4月2日に60日間の故障者リストへ異動した[10]。この年は2年ぶりにメジャー復帰し、初勝利も挙げた。
ドジャース時代
2014年12月18日にマット・ケンプ、ティム・フェデロビッチとのトレードで、ヤズマニ・グランダル、ザック・エフリンと共にドジャースへ移籍した[11]。
2015年はAAA級オクラホマシティ・ドジャースで21試合に登板(うち先発20回)し、10勝5敗、防御率4.59を記録した。一方メジャーでは2試合に先発登板したが、0勝1敗、防御率8.31に終わった。
マリナーズ時代
2016年1月12日にエリック・メヒアとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[12]。開幕は傘下のAAA級タコマ・レイニアーズで迎え、5月2日に40人枠を外れた。8月12日にメジャー契約を結んで25人枠入りしたが、同日のオークランド・アスレチックス戦で先発するも5回6失点で敗戦投手となった[13]。8月19日にAAA級タコマへ降格、8月20日に40人枠を外れ[14]、9月14日、後日発表選手とのトレードでアトランタ・ブレーブスに移籍したが、10月13日にFAとなった[14]。
DeNA時代
2016年11月7日にNPBの横浜DeNAベイスターズと契約した[15]。背番号は56。
2017年には、4月6日の対読売ジャイアンツ戦に、先発投手としてNPBの公式戦にデビュー。開幕当初は好投しても打線の援護に恵まれない試合が続いたが、4月28日の対広島東洋カープ戦(いずれも横浜スタジアム)でNPB初安打・初打点・初勝利を記録したことを皮切りに、先発登板で3連勝を達成した[16]。5月17日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、打者としてNPB初本塁打を記録している。同月下旬に右肘周辺に張りを感じたため、6月1日から戦列を離れたが[17]、7月7日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から一軍に復帰。7月18日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)から9月12日の対広島戦(マツダ)までの先発登板では、チームの歴代外国人投手で初めての公式戦5連勝[18]、9月25日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)ではNPB初完投・初完封勝利を記録した。レギュラーシーズンの最終登板であった10月1日の対広島戦(横浜)では、3回裏の第2打席で3号本塁打を放つなど、8番打者として3安打4打点をマーク。投げては5回7失点という内容ながら、チームの歴代外国人投手では初めてのシーズン10勝目を挙げ、自身の連勝を7にまで伸ばした[19]。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたクライマックスシリーズでは、阪神とのファーストステージ第3戦(10月17日)[20] および、広島とのファイナルステージ第4戦(10月23日)[21] に先発で登板し、いずれの試合でも勝利投手になりチームのファーストステージ突破に貢献した。横浜スタジアムで19年振りに開催された日本シリーズ第3戦(10月31日)でも、福岡ソフトバンクホークス打線を相手に先発で5回2/3を投げたものの、3失点し、黒星を喫した。日本シリーズ終了3日後の11月8日には、翌2018年もチームに残留することが球団から発表された[22]。1年契約で、推定年俸は1億3,000万円[23]。
2018年には、春季キャンプの期間中に右肘痛が再発した影響で調整が遅れ、公式戦の開幕を二軍で迎えた[24]。4月23日の対ヤクルト戦(神宮)に先発投手として一軍に復帰したが、6回2失点という内容で敗戦投手になり、前年7月18日の同カード(前述)から続いていたレギュラーシーズンでの連勝が7でストップ[25]。一軍公式戦でのシーズン初勝利は、5月20日の対巨人戦(東京ドーム)にまで持ち越された[26]。7月10日の対中日戦4回裏の打席でバックスクリーンを直撃するソロ本塁打を山井大介から放つ[27] など、打撃面での勝負強さは健在。8月2日の対巨人戦では先発登板でシーズン7敗目を喫し、翌8月3日の対広島戦(いずれも横浜)では、同点で迎えた延長11回裏2死1・2塁で来日後初めて代打に起用された(結果は四球)[28]。一軍公式戦16試合に登板したが4勝9敗、防御率4.99と振るわず、シーズン終了後には球団から翌2019年の契約を見送る旨を通告された。12月2日に自由契約公示された[29]。
起亜時代
2018年12月5日にKBOリーグの起亜タイガースと契約を結んだ[30]。背番号は、DeNA時代に続いて56。
2019年先発投手として28試合に登板し、8勝10敗、防御率4.75を記録したが、同年限りで退団した。なおKBOリーグは指名打者制を採用しているため、打席に立つ機会は無かった。
独立リーグ時代
2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止となったマイナーリーグの代替として一時的に開催された独立リーグであるコンステレーション・エナジー・リーグでプレーした[31]。
カブス傘下時代
2020年9月10日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[14]。傘下A級で行われているキャンプに参加しメジャー昇格を目指したが[32]、昇格の機会がないままシーズンを終了した。
レイズ傘下時代
アスレチックス傘下時代
2023年1月19日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、AAA級のラスベガス・アビエイターズに配属された[34]。23試合に登板したが、4勝4敗、防御率8.16という成績に終わり、7月4日に自由契約となった[14]。
独立リーグ時代
2023年8月20日にアメリカン・アソシエーションのシカゴ・ドッグスと契約を結んだ[35]。3試合に先発登板して1勝0敗、防御率1.76という成績だった。
メキシカンリーグ時代
2024年2月26日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)のタバスコ・オルメクスと契約した[14]。ここでは9試合(うち先発6試合)に登板し、4勝1敗、防御率2.95を記録した。
統一時代
2025年3月7日、台湾プロ野球の統一ライオンズと契約した[36]。
しかし、外国人枠の影響で一軍に昇格することはできず、7月26日に現役を引退することが発表された[37]。
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選手としての特徴
投球
制球は安定しており[38]、主に先発投手として起用され、オーバースローから最速94.6mph(約152km/h)・平均91mph(約146km/h)のフォーシームを中心に、決め球の平均76mph(約122km/h)のカーブ、平均84mph(約135km/h)のチェンジアップを使用する。2014年までは平均83mph(約134km/h)のスライダーも使用していた[39]。
打撃
DeNA時代の2017年には、レギュラーシーズンの序盤から投手を8番打者に起用する監督のアレックス・ラミレスの方針を背景に、対広島戦で大瀬良大地から2本の本塁打を記録する[40] など、長打力もあり、打者としても活躍。同カード5試合で13打数7安打、打率.538・3本塁打・9打点という好成績を残した。レギュラーシーズン通算でも、21試合で48打数11安打、打率.229・3本塁打・12打点・OPS.740を記録した。横浜DeNAの投手が一軍公式戦で1シーズンに3本の本塁打を記録した事例は、大洋ホエールズ時代の1976年に平松政次が4本塁打を放って以来、41年ぶり5人目である[19]。2018年にも対中日戦で1本の本塁打を放っている。
ラミレスからは「代打で使いたいぐらい、打席での構えが非常に良い」と高く評価された[41]。投手も打線に組み込まれるセントラル・リーグの公式戦では珍しく、ウィーランドを先発投手に起用した試合では、降板を予定している状況でウィーランドに打席が回っても、「代打を送らず、そのまま打席へ立たせたうえで、次のイニングの冒頭に別の投手へ交代する」という起用法を複数回にわたって実行している[42][43]。
2018年8月3日には、前日(2日)の対巨人戦で先発投手として7回3失点と好投したにもかかわらず、ラミレスの発案で当日の対広島戦(前述)に代打要員としてベンチ入り。11回裏に7番打者・嶺井博希の代打として出場すると、四球で出塁し、チームのサヨナラ勝利につなげた[44]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2020年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2017年4月6日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、6回2失点で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、1回表に中井大介から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2017年4月28日、対広島東洋カープ4回戦(横浜スタジアム)、5回0/3を3失点
- 初完投・初完封勝利:2017年9月25日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、9回無失点5安打4奪三振
- 打撃記録
- 初打席:2017年4月6日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、2回裏に吉川光夫から空振り三振
- 初安打・初打点:2017年4月28日、対広島東洋カープ4回戦(横浜スタジアム)、4回裏に加藤拓也から中前適時打
- 初本塁打:2017年5月17日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回表に大瀬良大地から左越ソロ
背番号
- 43(2012年 - 2014年、2025年)
- 45(2015年)
- 47(2016年)
- 56(2017年 - 2019年)
脚注
関連項目
外部リンク
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