トップQs
タイムライン
チャット
視点

ティモ・ペレス

ドミニカ共和国の野球選手 (1975 - ) ウィキペディアから

ティモ・ペレス
Remove ads

ティモニエル・M・ペレスTimoniel M. Pérez, 1975年[1]4月8日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手外野手)。広島東洋カープでの登録名は「ティモニエル・ペレス」。

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

来歴・人物

リセオ・アメリコ・ペレス高からカープアカデミーを経て、1995年広島東洋カープに練習生として入団。1996年に支配下選手登録された。カープアカデミー出身の野手として初めて一軍の実戦で本領を発揮し、ラテン系のキャラクターも人気を博した。打撃スタイルは、少々粗かったがパンチ力はあった。守備も堅実にこなし、特に走力は優れており、控えのときは貴重な代走として活躍し、1番打者でのスタメンも数試合であるが任されている。

1998年シーズン終了後にはアレファンドロ・ケサダと共に、ポスティングシステムによるメジャーリーグ入団を目指すが、ケサダと対照的に獲得希望の球団が現れなかったため、カープと再契約。

Thumb
ニューヨーク・メッツ時代
(2001年9月19日)

1999年シーズン終了後、カープを自由契約となり、かねてからの夢であったメジャーリーグへ移籍。ニューヨーク・メッツでは新庄剛志ともプレーした。

2004年からはシカゴ・ホワイトソックス2006年シンシナティ・レッズでプレーしていたが、4月にセントルイス・カージナルスに移籍。6月にメジャー昇格したものの、8月半ばにはメジャー登録枠を外された。

2007年デトロイト・タイガース傘下AAA級のトレドでプレーし、メジャー昇格も果たした。7月11日にはAAA級のオールスターゲームに出場し、4打数3安打2打点の活躍でインターナショナルリーグの勝利に貢献。MVPを獲得した。 

2008年は自身初のメジャー出場なしに終わる。

2009年4月に自由契約となり、メキシカンリーグのベラクルス・レッドイーグルスでプレー。同年8月13日には、アメリカ独立リーグカナディアン・アメリカン・リーグに加盟するニュージャージー・ジャッカルズへ移籍した[2]

2011年は、再びタイガース傘下AAA級のトレドでプレー。2012年にアメリカ独立リーグのアトランティックリーグに加盟するロングアイランド・ダックスでプレーしたのを最後に現役引退。

現在はドミニカンリーグでヘッドコーチを務めている[3]

日本球界復帰の可能性について、「広島に戻るならコーチで。あそこの練習はしんど過ぎるから」と笑わせる。広島時代の同僚フェリックス・ペルドモ同様日本語が得意で、メジャー入り後の日本のテレビのインタビューにも、なかなか流暢な日本語を話していた。新庄剛志や井口資仁とチームメートだったときは、日本語で「元気?」「ぼちぼちやな」などと会話することもあったという。また、田口壮の書籍にも外国人の姿をした日本人「ぺれすさん」として紹介されており、書籍でも数回登場している。

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

記録

NPB

背番号

  • 121 (1995年)
  • 72 (1996年)
  • 50 (1997年 - 1999年)
  • 6 (2000年 - 2003年)
  • 7 (2004年 - 2005年)
  • 19 (2006年)
  • 8 (2007年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads