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デビッド・アダムス
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デビッド・リー・アダムス(David Lee Adams, 1987年5月15日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ブロワード郡マーゲイト出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
2005年のMLBドラフト21巡目(全体630位)でデトロイト・タイガースから指名されるが拒否し、バージニア大学でプレーした[1]。
プロ入りとヤンキース時代
2008年のMLBドラフト3巡目(全体106位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、6月9日に入団。
2009年は、A級チャールストン・リバードッグスとA+級タンパ・ヤンキースでプレーしていた。
2010年は、AA級トレントン・サンダーでプレーする。
2011年11月18日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[2]。
2013年3月26日、バーノン・ウェルズの加入に伴って40人枠から外れた[3]。3月29日にマイナー契約で復帰。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレー。自身の誕生日である5月15日にメジャー昇格を果たし、同日のマイアミ・マーリンズ戦でメジャーデビュー。「6番・三塁手」で先発起用され、4打数1安打だった。チームは2対12で敗れた。5月20日のボルチモア・オリオールズ戦ではフレディ・ガルシアから初本塁打を記録。7月3日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリに降格。7月24日、ルイス・クルーズの故障者リスト入りに伴ってメジャーに再昇格するも、7月28日にジェイソン・ニックスが故障者リストから外れたため、再びAAA級スクラントン・ウィルクスバリに降格した。8月5日にデレク・ジーターが故障者リスト入りしたため再びメジャー昇格[4]。8月11日にデリン・ベタンセスとの入れ替えで再びAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した。9月1日、セプテンバー・コールアップでメジャーに再昇格[5]。この年メジャーでは43試合に出場して打率.193・2本塁打・13打点の成績を残した。オフの12月2日にFAとなった。
オリオールズ傘下時代
2013年12月13日にクリーブランド・インディアンスと1年契約を結び、球団が発表した[6]。
2014年3月22日にウェイバー公示を経てボルチモア・オリオールズへ移籍した[7]。翌23日に傘下のAAA級ノーフォーク・タイズへ異動し、そのまま開幕を迎えた。5月4日に40人枠を外れ、AA級ボウイ・ベイソックスへ降格した[8]。この年は2球団合計で105試合に出場して打率.255・9本塁打・48打点・3盗塁の成績を残した。オフにFAとなった。
マーリンズ傘下時代
2015年1月30日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級ジャクソンビル・サンズでプレーし、116試合に出場して打率.294・6本塁打・50打点・3盗塁の成績を残した。オフの11月6日にFAとなった[9]。
ブルージェイズ傘下時代
2015年11月20日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
2016年は傘下のAAA級バッファロー・バイソンズでプレーし、68試合に出場して打率.243・2本塁打・21打点・3盗塁の成績を残した。オフの11月7日にFAとなった[9]。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
2017年にヤンキース傘下ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース(GCLヤンキース)のコーチに就任し、2018年はGCLヤンキースのウェストチームで監督を務めた[10]。2019年は傘下ショートシーズンA級スタテンアイランド・ヤンキースの監督を務めた。
2020年に傘下A+級タンパ・ターポンズの監督に就任したが[11]、マイナーリーグが開催中止となった。2021年に改めてタンパ・ターポンズ(A-級に格付け変更)の監督に就任[12]。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 39(2013年 - 同年途中)
- 45(2013年途中 - 同年終了)
脚注
関連項目
外部リンク
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