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フレディ・ガルシア

ベネズエラの野球選手 (1976 - ) ウィキペディアから

フレディ・ガルシア
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フレディ・アントニオ・ガルシアFreddy Antonio García, 1976年10月6日 - )は、ベネズエラカラカス出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

台湾球界での登録名は、「賈西亞」。

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経歴

要約
視点

マリナーズ時代

1993年ヒューストン・アストロズと契約しプロ入り。1998年7月31日ランディ・ジョンソンとのトレードカルロス・ギーエンらとともにシアトル・マリナーズへ移籍。1999年4月7日のホワイトソックス戦でメジャーデビューし初勝利を挙げると、シーズンで17勝8敗、防御率4.07という成績を残し、新人王投票でカルロス・ベルトランロイヤルズ=当時)に次ぐ2位となった。

2000年は故障で9勝止まりだった。

2001年には18勝6敗、防御率3.05(リーグ1位)とエース級の成績を残し、マリナーズの地区優勝に貢献した。この年以来2006年まで、6年連続で年間先発30試合・200イニングをクリアするタフネスぶりを見せている。

ホワイトソックス時代

2004年シーズン途中にホワイトソックスにトレード移籍。マーク・バーリーホセ・コントレラスジョン・ガーランドらと共にリーグ屈指の先発ローテーションを形成して活躍。

2005年のワールドシリーズ優勝にも大きく貢献した。

ホワイトソックス退団後

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[1]

シーズン終了後には、ガビン・フロイドジオ・ゴンザレスとの交換で、フィラデルフィア・フィリーズへトレード移籍した。しかし2007年は肩を痛めたため不本意な成績に終わり、シーズン終了後には再契約を見送られFAとなった。

2008年8月12日、ガルシアは、デトロイト・タイガースとのマイナー契約にサインし、FAから復帰した。マイナーリーグで5イニングを投げ無失点、5三振を奪うなど、好調ぶりをアピールした。その後もドントレル・ウィリスと模擬試合で投げ合うなど、順調に調整を進め、9月17日のテキサス・レンジャーズ戦で先発し、メジャー復帰を果たした。この試合では、投球数に制限こそあったものの、5回を失点1(自責点は0)に抑え、久々の勝利を挙げた。

2009年ニューヨーク・メッツとマイナー契約したが結果を残せず、4月28日、メジャーに上がることなく解雇された。

ホワイトソックス復帰

6月、古巣・ホワイトソックスとマイナー契約。8月からメジャー登板し、9月以降に3勝を記録した。オフにチーム側がオプションを行使した。

2010年はガルシアにとって4年ぶりのシーズンとなった。年間を通じてローテーションを守り、28試合に先発登板して12勝を記録し、復活を果たした。11月1日にFAとなった。

ヤンキース時代

2011年1月31日、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶと、2月3日には1年総額150万ドルのメジャー契約に切り替えられた[2]。プレシーズンマッチでは安定した投球を見せ、3月25日に同じくマイナー契約であったバートロ・コローンと共に、メジャー開幕ロースター25人枠入りが決定し、先発ローテーション入りした。10月31日にFAとなったが、12月9日に1年総額400万ドル+出来高で再契約した[3]

2012年A.J.バーネットの移籍や、マイケル・ピネダが肩の故障で離脱したため、開幕ローテ入りを果たした。10月29日にFAとなった。

ヤンキース退団後

2013年1月29日に、サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[4]が、オープン戦で6試合に登板し1勝4敗、防御率8.71と結果を残せず3月24日に解雇。29日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[5]。5月4日にメジャー昇格したものの、6月24日にDFAとなった。8月23日にアトランタ・ブレーブスに金銭トレードで移籍した[6]。10月31日にFAとなった。

2014年1月24日にブレーブスとマイナー契約し、2月13日にメジャー契約を結んだ[7]が、3月24日に放出された。

義大時代

2014年4月27日に義大ライノズと契約する。6月30日に、月間MVPが発表され[8]投手部門のMVPに選出された[9]

義大退団後

2015年は当初メキシカンリーグタバスコ・キャトルメンと契約。4月9日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだが、4月22日に放出され、6月7日に再びキャトルメンと契約。7月14日にマックス・ラミレスとのトレードでモンテレイ・サルタンズに移籍した。11月には第1回WBSCプレミア12ベネズエラ代表で出場[10]。初戦のメキシコ戦で7回途中3失点。予選突破をかけた日本戦では8回途中3失点の投球を見せたが、チームは予選敗退に終わった。

2016年、母国ベネズエラ代表チームティグレス・デ・アラグアのメンバーとしてカリビアンシリーズに出場。2月7日の決勝戦試合前に現役引退を表明。当日の試合に先発したが、チームは4対5でサヨナラ負けを喫した。4月8日にのモンテレイ・サルタンズと再契約を結び現役復帰。しかし5試合の登板で防御率5.01を喫し、5月3日に解雇となる。

2017年はベネズエラのウィンターリーグに参加。

2018年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加。

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選手としての特徴

かつてはその大柄な体躯を生かした95マイル超のフォーシームを中心に、スライダーチェンジアップを投げ分ける本格派投手として鳴らしたが、近年はツーシームカーブスプリッターなどの割合を増やした技巧派へと転身した。また、もともと奪三振率は平均レベルで決して高くはなかったため、若手の頃から打たせて取るピッチングは得意としていた。

詳細情報

年度別投手成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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タイトル

MLB

表彰

CPBL

記録

MLB

背番号

  • 34(1999年 - 2008年)
  • 43(2009年 - 2010年)
  • 36(2011年 - 2012年)
  • 38(2013年 - 同年途中)
  • 50(2013年途中 - 同年終了)
  • 55(2014年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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