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トウショウナイト
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トウショウナイト[1]は日本の競走馬。主な勝ち鞍に2007年のアルゼンチン共和国杯。馬名の由来は冠名の「トウショウ」と英語で騎士を意味する「ナイト」。
経歴
2003年8月に札幌競馬場で行われた2歳新馬戦で武士沢友治が騎乗してデビューし、7番人気で3着。続く2歳未勝利戦を2番人気で制して初勝利を挙げる[3][4]。この後しばらく勝利から遠ざかり、2004年秋に2勝目を挙げると1000万下のテンポイントメモリアル、1600万下の迎春ステークスと連勝して、重賞初挑戦となった京都記念でも2着と好走し、続いての日経賞も2着とする[4]。GIレースにも顔を出し、天皇賞(春)では4着、宝塚記念で6着[4]。その後、き甲(きこう。首と背中の中間部)を骨折し、長期休養を余儀なくされる[4]。
武士沢によるとこの骨折以降手前を変えなくなってしまい、2006年2月に復帰後勝てないレースが続いたが[5]、函館記念を控えた追い切りで無理矢理手前を変えようとしたところ、背中から「ポキリ」と何かが折れるような音がし、これ以降手前を変えるようになり復調[6]。9月の札幌日経オープンで逃げ込みを図ったコスモバルクを破って久しぶりの勝ち星とする[7]。その後京都大賞典3着を経て臨んだアルゼンチン共和国杯で1番人気に推され、追い込んできたアイポッパーをクビ差押さえて優勝[5]。これは鞍上の武士沢にとってもデビュー10年目で初めての重賞優勝となった[5]。
以後は中長距離重賞路線に出走し続けた。2007年にはメルボルンカップに、前年度優勝馬デルタブルース、2着馬ポップロックと同道での遠征も計画されていた[8][9]。しかし、春の天皇賞に向けての最終調整中の2008年4月30日、調教中に右第一指骨粉砕骨折を発症し、予後不良と診断され安楽死の措置が執られた[2][10]。
武士沢は引退時に思い出の一頭としてトウショウナイトを挙げ、「初めて重賞を勝たせてもらったし、すべてのことを教わった。最初に乗った時から猫のような柔らかい動きをしていた。びびりな性格で苦労したこともあったけど、大事に時期を待ったことで馬が良くなった。馬に対する感覚や向き合い方を変えてくれたし、かけがえのない存在。悔やまれるのはGIを使った時に一回も雨が降らなかったこと。そこは本当に残念でしたね。」と語っている[11]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[12]、JBISサーチ[3]に基づく。
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血統表
トウショウナイトの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ミスタープロスペクター系 |
[§ 2] | ||
父 *ティンバーカントリー Timber Country 1992 栗毛 アメリカ |
父の父 Woodman 1983栗毛 アメリカ |
Mr. Prospector | Raise a Native | |
Gold Digger | ||||
*プレイメイト Playmate |
Buckpasser | |||
Intriguing | ||||
父の母 Fall Aspen 1976栗毛 アメリカ |
Pretense | Endeavour | ||
Imitation | ||||
Change Water | Swaps | |||
Portage | ||||
母 *ミッドナイトオアシス Midnight Oasis 1993 栗毛 アメリカ |
Java Gold 1984 鹿毛 アメリカ |
Key to the Mint | Graustark | |
Key Bridge | ||||
Javamine | Nijinsky II | |||
Dusky Evening | ||||
母の母 Northernette 1974鹿毛 カナダ |
Northern Dancer | Nearctic | ||
Natalma | ||||
South Ocean | New Providence | |||
Shining Sun F-No.4-j | ||||
母系(F-No.) | ミッドナイトオアシス(USA)系(FN:4-j) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer 5×3=15.63%、Swaps 5×4=9.38%、 Native Dancer 5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 姪に2023年JBCレディスクラシック勝ち馬のアイコンテーラーがいる。
脚注
外部リンク
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