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ハンク・サウアー
アメリカ合衆国の野球選手 (1917-2001) ウィキペディアから
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ハンク・サウアー(Henry John "Hank" Sauer、1917年3月17日 - 2001年8月24日)は、主に1950年代に活躍したアメリカ合衆国のプロ野球選手。主なポジションは左翼手。ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"The Honker"。1950年代のカブスの中軸をつとめ、1952年には打撃二冠を獲得、ナショナルリーグ最優秀選手となった。
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来歴・人物
1937年にプロ選手として契約したのはニューヨーク・ヤンキースだったが、1939年のマイナーリーグドラフトでレッズに移籍し、メジャーに昇格したのは1941年だった。1948年にようやくレッズの正外野手として1シーズンを過ごした。この年はオールスター戦前まで本塁打と打点の二冠王だったにもかかわらず、オールスター戦に選出されなかった(同様の事態は60年後の2008年のフランク・ハワードまで起こらなかった)。翌年にはシカゴ・カブスへ移籍することになる。
カブス移籍後のサウアーは長打力を発揮するようになり、1950年から1952年にかけて3年連続で30本塁打を記録する。1950年8月28日には、1試合で3本塁打を打ったこともあった。1952年には37本塁打と121打点を挙げ、ナショナルリーグの打撃二冠を獲得、この年の最優秀選手に選出される。当時不振が続いていたカブスにあってサウアーは人気者となり、ファンからは『リグレー・フィールド市長』というニックネームまで付けられた。噛みタバコを愛用していたこともあり、サウアーがホームランを放った後レフトの守備につくと、スタンドから噛みタバコが渡されることもあったという。
1953年の日米野球で来日し、全12試合に4番で出場、日米野球シリーズ1回で最多の12本塁打を放つ[1]。
カブス在籍時のサウアーは、1950,1952,1954年の3度にわたって30本塁打・100打点の成績を残したが、1954年のオフにカブスとの契約がこじれ、チームを離れた。その後カージナルスやジャイアンツに所属し、1959年シーズンを最後に引退する。指導者としては、引退後1979年に3週間ほどジャイアンツのコーチを務めた経歴があるだけである。2001年にカリフォルニア州で死去。
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通算成績
要約
視点
打撃成績
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
タイトル
- 本塁打王:1952年
- 打点王:1952年
表彰
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関連項目
脚注
外部リンク
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