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フリオ・ルーゴ

ドミニカ共和国の野球選手 (1975 - 2021) ウィキペディアから

フリオ・ルーゴ
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フリオ・セサール・ルーゴ・ルーゴ(Julio Cesar Lugo Lugo, 1975年11月16日 - 2021年11月15日)は、ドミニカ共和国バラオナ州サンタ・クルス・デ・バラオナ出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...

弟のルディ・ルーゴも元プロ野球選手である。

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経歴

要約
視点

プロ入りとアストロズ時代

1994年MLBドラフト43巡目でヒューストン・アストロズから指名を受け、プロ入り。

マイナーでは、.290以上の打率と30以上の盗塁を何度も記録した。

2000年4月15日にメジャーデビューを果たした (対戦相手はサンディエゴ・パドレス) 。デビュー戦には代走で出場し、打席に入る機会はなかった[1]。だが、その後は次第に出番が増加し、最終的には116試合に出場。バッティング面では、ルーキーながら打率.283・10本塁打・40打点・22盗塁 (成功率71%) という好成績をマークした。ディフェンス面では、ショートセカンドを中心に守ったほか、外野の全ポジションの守りにも就いたが、内野守備で計17失策を犯した。

2001年はショートのレギュラーに定着して140試合に出場し、メジャー2年目ながら規定打席に到達した。だが、打撃成績は全体的にルーキーイヤーよりも下降し、打率.263・10本塁打・37打点という内容に終わった。走塁面での成績も芳しくなく、盗塁を23回試みて11回失敗し、成功率は52%に留まった。守備成績は、定着したショートを133試合守ったが、前年に続いてエラーを量産してしまい、22失策・守備率.964という成績に終わった。

2003年のシーズン中に、試合終了後、球場の駐車場で妻と口論になり、暴力を振るって警察に逮捕されるという不祥事を起こしてしまった(その後、裁判で無罪判決を受けている)。それが原因で、アストロズをFAとなる。

レイズ時代

その後、妻と離婚したルーゴは、タンパベイ・デビルレイズへ移籍。アストロズでは22試合でホームラン0だったが、デビルレイズでは117試合でホームラン15本を放つなど、打撃面で成長。デビルレイズのレギュラーに定着した。

それ以降は、2004年2005年はショートのレギュラーとして規定打席にも到達。2005年の39盗塁アメリカンリーグ4位。

ドジャース時代

2006年トレード期限ギリギリの7月31日にマイナー2選手とのトレードで地区優勝を狙うロサンゼルス・ドジャースに移籍。ドジャースはワイルドカードを獲得したが、ナショナルリーグディビジョンシリーズ(NLDS)で敗れた。

レッドソックス時代

2006年オフにボストン・レッドソックスと4年3600万ドルで契約した。

2007年はショートのレギュラーを守り、チームトップの33盗塁をマーク。ワールドシリーズでは13打数5安打と活躍した。

2009年7月にDFAとなった。

カージナルス時代

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セントルイス・カージナルスでの現役時代
(2009年8月2日)

2009年7月22日にクリス・ダンカンとの交換トレードによりセントルイス・カージナルスへ移籍。

オリオールズ時代

2010年、開幕直前の3月30日に、後日発表選手or金銭とのトレードでボルチモア・オリオールズへ移籍。

ブレーブス時代

2011年5月23日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、6月22日にメジャーに昇格したが、9月2日に解雇された。

インディアンス傘下時代

2012年クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。その後、退団した。

ピオリオ・エクスプロアーズ時代

2013年独立リーグフリーダム・プロベースボールリーグピオリア・エクスプロアーズでプレー。その後、引退した。

引退後

2021年11月15日、死去[2]45歳没。死因は心臓発作とみられている[3]

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

年度別守備成績

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  • 各年度の太字はリーグ最高
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脚注

関連項目

外部リンク

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