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フレッド・マグリフ
アメリカ合衆国の野球選手 (1963-) ウィキペディアから
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フレデリック・スタンリー・マグリフ(Frederick Stanley McGriff, 1963年10月31日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手。(一塁手)。愛称は"クライムドッグ"("Crime Dog")[1]。
従兄弟のチャールズ・ジョンソン、テリー・マグリフも元MLB選手。
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経歴
要約
視点
プロ入りとヤンキース傘下時代
1981年のMLBドラフト9巡目(全体233位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け、入団。
ブルージェイズ時代
1982年12月9日に2選手との交換トレードで、他2選手と共にトロント・ブルージェイズに移籍。
1986年5月17日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。
1987年は主に指名打者として出場し、ジェシー・バーフィールドの持つ球団新人記録を更新する20本塁打を記録した[1]。
1988年はリーグ2位の34本塁打を記録した。
パドレス時代
1990年12月5日にトニー・フェルナンデスと共にロベルト・アロマー、ジョー・カーターとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍した。
ブレーブス時代
1993年7月18日にはトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。このシーズントータルでキャリア・ハイとなる37本塁打を記録した。
1994年はオールスターゲームでMVPを受賞し、レギュラーシーズンでは史上9人目となる7年連続30本塁打を達成[2]。
1995年は8年ぶりに30本塁打の大台を下回ったが、レギュラーシーズンの全試合に出場、チームのリーグ制覇に貢献。ワールドシリーズでも、2本塁打を放つなどの活躍で、自身初の世界一を経験した。
1996年は自己最高の107打点を記録した。
1997年は97打点を記録したものの、打率.277、22本塁打は1988年のメジャー定着後最低の数字となった。チームのスカウトからは「パワーもスピードも衰えたマグリフは、もはや古株選手」と言われたが、本人は年齢による衰えではなく、大きな原因は本拠地の球場がアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムから打者に不利なターナー・フィールドへ移転したためと否定している[3]。しかし、1998年、1999年の年俸が合わせて1250万ドルもあったためトレードが噂され、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとタンパベイ・デビルレイズの球団拡張に伴うドラフトの時には保護選手のリストから漏れた[3]。
デビルレイズ時代
1997年11月18日、デビルレイズにトレードで移籍した。マグリフにとって生まれ故郷であるタンパでプレイできることに興奮したという[1]。
1998年は19本塁打しか記録できなかった。
1999年には5年ぶりに30本塁打の大台を上回った。
カブス時代
ドジャース時代
2003年はロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
デビルレイズ復帰
2004年は再び古巣タンパベイ・デビルレイズでプレイしたが、7月に解雇され、500本塁打目前の493本塁打に留まった。
引退後
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人物
43の球場で本塁打を記録し、2007年4月26日にサミー・ソーサが44球場で本塁打を記録しこの記録を抜くまで、MLB記録であった[2][5]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- シルバースラッガー賞(一塁手部門):3回(1989年、1992年、1993年)
- オールスターゲームMVP:1回(1994年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:5回(1992年、1994年 - 1996年、2000年)
背番号
- 19(1986年 - 1990年)
- 29(1991年 - 1993年途中、1998年 - 2002年、2004年)
- 27(1993年途中 - 1997年)
- 28(2003年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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