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ブライアン・ウィルソン (野球)

アメリカ合衆国の野球選手 ウィキペディアから

ブライアン・ウィルソン (野球)
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ブライアン・パトリック・ウィルソン(Brian Patrick Wilson, 1982年3月16日 - )は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ロンドンデリー出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

2000年クリーブランド・インディアンスからドラフト30巡目で指名されるが契約せずルイジアナ州立大学に進学。

ジャイアンツ時代

2003年サンフランシスコ・ジャイアンツからドラフト24巡目で指名され契約を結んだ。

2006年4月23日にメジャーデビューし、リリーフ投手として31試合に登板した。

2007年シーズン終盤にブラッド・ヘネシーらと共にクローザーとしてテストされ、7回のセーブ機会で6回成功。登板数こそ24試合と少ないものの、防御率2.28をマークし安定感を見せた。

2008年は開幕からクローザーとして定着。前半戦だけで25セーブを稼ぎ、初めてオールスターに選出された。実質クローザー1年目で防御率こそ4.62ながら、ホセ・バルベルデに次いでナ・リーグ2位となる41セーブをマーク。チームの元クローザーであったロブ・ネンから、「クローザーとして成功するための素質が備わっている[1]」と評された。

2009年は68試合の登板で防御率2.74・38セーブ。右打者との対戦打率が低下したことが成績向上の要因となった[2]

2010年はメジャー全体で最多となる48セーブをマーク。防御率も自身初の1.00台(1.81)を記録。この年は投球スタイルに変化が見られ、2009年まではフォーシームの速球:高速スライダーが7:3程度の比率であったのが、2010年は6:4程度になった[3]。特に重要な試合ではスライダーを多投し、ワールドシリーズでの33投球中、15球がスライダーであった[3]

2012年は開幕直後にひじを痛めたことでトミー・ジョン手術を受け、シーズン中の復帰が絶望となった。オフにFAに。

ドジャース時代

2013年は無所属で開幕を迎え、リハビリに専念。7月30日ロサンゼルス・ドジャースと1年契約で合意した[4]。オフの10月31日にFAとなった。11月にはヤンキースからヒゲを理由に獲得に動かない事を明言された[5]12月5日、ドジャースと1年1000万ドルで契約に合意し[6]12月7日に球団が正式発表した[7]

2014年は開幕ロースター入りしたが、2試合登板後に右肘の故障で離脱。4月1日に15日間の故障者リスト入りし、4月5日にリハビリのためA+級ランチョクカモンガ・クエークスへ異動した。4月15日に故障者リストから外れた。この年は、61試合にリリーフ登板し、2勝4敗1セーブ、防御率4.66の成績だった。オフには自身が行使権を持つ年俸1000万ドルの契約オプションを行使していたが、ブランドン・マッカーシーの加入に伴い12月19日に解雇となる。また、契約オプションの行使に伴いドジャース側が翌シーズンの年俸を支払う義務があるため、他球団と翌シーズンの契約を結んだ場合、ドジャースが1000万ドルからメジャー最低保障年俸50万7500ドルを差し引いた額を支払う義務がある[8]

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選手としての特徴

人物

2010年8月頃から伸ばし始めたヒゲがトレードマーク。

2006年にプエルトリコウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコで出会ったのきっかけにダラス・ブレイデンと親交があり、同じアイルランド系アメリカ人ということもあって、2007年のシーズン終了後にはアイルランド[9]、2010年のシーズン終了後には日本タイ王国へと2人で海外旅行に出ている[10]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 太字はリーグ1位。

タイトル

記録

背番号

  • 33 (2006年)
  • 38 (2007年 - 2012年)
  • 00 (2013年 - 2014年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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