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ホオキパウェーブ

日本の競走馬 ウィキペディアから

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ホオキパウェーブ(欧字名:Hookipa Wave2001年3月16日 - )は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に2005年オールカマー

概要 ホオキパウェーブ, 欧字表記 ...

馬名の意味はハワイ・マウイ島の波乗りのメッカ(母名より連想)より。

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戦績

デビュー前

2001年のセレクトセール当歳セッションにて、金子真人に3780万円(税込)で落札された[2]

2歳(2003年)

2003年9月14日の2歳新馬札幌芝1800m)でデビュー。後続に4馬身差をつける快勝でデビュー勝ちを決める。2戦目のひいらぎ賞は6着に敗れ、初黒星となる。

3歳(2004年)

3歳初戦の寒竹賞で3着に入ると、続くゆりかもめ賞を上り最速の脚で差し切り2勝目を飾る。次走はダービートライアルの青葉賞に進み、中団やや後方から脚を伸ばし勝ったハイアーゲームに2馬身半の2着に入り、東京優駿の優先出走権を得る。3戦連続東京芝2400m戦となった東京優駿は9着に敗れた。夏は休養に入り、秋初戦となったセントライト記念コスモバルクにクビ差まで迫る2着となる。さらに、菊花賞は道中後方2番手から2周目3コーナーで仕掛けると、優勝したデルタブルースに1馬身1/4差の2着と好走した。その後はジャパンカップに挑んだが最下位の16着と大敗する。

4歳(2005年)

脚部不安により休養が長引き、前走から9か月後の札幌記念で復帰、9着に敗れる。復帰2戦目となったオールカマーはスローペースの流れのなか、4番手から4コーナーで先頭に並びかけ、直線で追い込んできたグラスボンバーをクビ差押し切り1着、重賞初制覇となった[3]。次走、天皇賞(秋)は10着と惨敗、ステイヤーズステークスは6着に終わった。

5歳(2006年)

5歳初戦となった日経賞はブービーの12着と大敗する。トップハンデ58㎏で挑んだ新潟大賞典は11着、同じくトップハンデ57.5㎏で出走した目黒記念は12着と二桁着順が続いた。その後、七夕賞は5着と善戦する。しかし、再び脚部不安により長期休養を余儀なくされる。

6歳(2007年)

1年4か月ぶりの復帰戦、カシオペアステークスは14着と大敗[4]。結局このレースが最後となり、12月5日付でJRA競走馬登録を抹消、ノーザンホースパークにて乗馬となった[5]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.comの情報[6]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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血統表

ホオキパウェーブ血統(血統表の出典)[§ 1]
父系サドラーズウェルズ系
[§ 2]

*カーネギー
Carnegie
1991 鹿毛
父の父
Sadler's Wells
1991 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
父の母
Detroit
1977 黒鹿毛
Riverman Never Bend
River Lady
Derna Sunny Boy
Miss Barberie

*プラチナウェーブ
Platinum Wave
1988 鹿毛
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
母の母
Coiffure
1973 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Style Traffic Judge
Capelet
母系(F-No.) (FN:5-g) [§ 3]
5代内の近親交配 Native Dancer 5 × 4 = 9.38%、Nasrullah 5 × 5 = 6.25%、Lalun 5 ・ 5(父内) = 6.25% [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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