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ホルヘ・ロンドン
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ホルヘ・レオナルド・ロンドン・エルナンデス(Jorge Leonardo Rondón Hernandez, 1988年2月16日[1] - )は、ベネズエラ・グアリコ州カラボソ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。メキシカンリーグのレオン・ブラボーズ所属。
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経歴
要約
視点
プロ入りとカージナルス時代
2006年7月3日にセントルイス・カージナルスと契約。この年は傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・カージナルスで10試合に登板し、0勝1敗1セーブ・防御率6.46だった。
2007年はルーキー級ベネズエラン・サマーリーグで17試合に登板し、1勝6敗2セーブ・防御率4.74だった。
2008年はアパラチアンリーグのルーキー級ジョンソンシティ・カージナルスで21試合に登板し、2勝2敗6セーブ・防御率4.03だった。8月にA級クァッドシティズ・リバーバンディッツへ昇格。8試合に登板し、1勝0敗・防御率3.24だった。
2009年はA+級パームビーチ・カージナルスで8試合に登板し、0勝1敗、防御率7.71だった。7月からA級クァッドシティズでプレー。10試合に登板し、1勝5敗・防御率4.27だった。
2010年はA級クァッドシティズで29試合に登板し、4勝8敗・防御率5.30だった。
2011年はA+級パームビーチで21試合に登板し、1勝5敗6セーブ・防御率4.05だった。6月にAA級スプリングフィールド・カージナルスへ昇格。37試合に登板し、1勝8敗7セーブ・防御率9.16だった。
2012年はAA級スプリングフィールドで33試合に登板し、2勝1敗4セーブ・防御率3.44だった。8月にAAA級メンフィス・レッドバーズへ昇格。13試合に登板し、0勝1敗1セーブ・防御率3.60だった。オフの10月30日にカージナルスとメジャー契約を結び[2]、40人枠入りを果たした。
2013年はAAA級メンフィスで51試合に登板し、3勝5敗1セーブ、防御率3.06だった。
2014年はAAA級メンフィスで開幕を迎えた。4月17日にジョー・ケリーが故障で離脱したため、メジャーへ昇格した[3]が、登板のないまま4月21日にAAA級メンフィスへ降格した[4]。6月29日にメジャーへ再昇格し[5]、同日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。6点ビハインドの7回裏から登板し、1回を無安打無失点1四球に抑えた[6]。6月30日にAAA級メンフィスへ降格した[7]。その後はメジャーへ昇格することなく、この年は1試合の登板にとどまった。AAA級メンフィスでは51試合に登板し、5勝4敗10セーブ、防御率3.03だった。
ロッキーズ時代
2014年11月3日にウェイバーでコロラド・ロッキーズへ移籍した[8]。
オリオールズ時代
2015年5月10日にウェイバーでボルチモア・オリオールズへ移籍した[10]。オリオールズ加入後は8試合に登板したが、防御率7.43だった。ロッキーズとの合算では10試合に投げ、防御率は13.19だった。10月20日にバンス・ウォーリーの加入に伴って戦力外となった[11]。
パイレーツ時代
2015年10月26日にウェイバーでピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[12]。12月23日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスへ配属された[13]。
2016年6月18日にメジャー契約を結んで25人枠入りした[14]。2試合に登板後、6月24日にDFAとなり[15]、マイナー契約に切り替えてシーズン終了まで在籍した。
中日時代
2016年12月13日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだが、ウインターミーティングで中日ドラゴンズが獲得交渉を行い、12月28日に獲得が決定した[16]。
2017年1月5日に保有権を譲渡され、翌6日に中日への入団が正式発表された[17]。背番号は91。一軍で4試合登板したものの結果は振るわず、シーズン終了後契約保留選手名簿から外れ、自由契約となった[18]。
2018年はシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級のバーミングハム・バロンズに入団したが、5月10日に契約解除で退団した[19]。
福島時代
2018年6月27日、ベースボール・チャレンジ・リーグの福島ホープスに入団したことが発表された[20]。福島では主に中継ぎおよび抑えとして20試合に登板し、自責点0で2勝1敗6セーブという成績だった[19]。福島への入団は、NPBで再度プレーすることが目的と述べている[19]。
メキシカンリーグ時代
2020年1月10日、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)のアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響でメキシカンリーグが開催中止となり、4月22日にリリースされた。
2021年3月15日にアグアスカリエンテスと再契約を結んだ[21]。29試合に登板し、2勝4敗7セーブ、防御率4.40を記録した。
2022年もアグアスカリエンテスで開幕を迎えたが、15試合に登板して0勝4敗、防御率8.24と打ち込まれた。6月1日ににユカタン・ライオンズへトレード移籍[13]。移籍後は29試合に登板して2勝2敗2セーブ、防御率1.44と復調を果たした。
2023年は前年所属したユカタン、古巣のアグアスカリエンテス、モンテレイ・サルタンズの3球団でプレーした[13]。
2024年は、41試合に登板して2勝1敗5セーブ、防御率3.35という成績だった。
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選手としての特徴
救援投手として、スリークォーターから、最速99mph(約159km/h)・平均96mph(約154km/h)の速球(フォーシーム・ツーシーム)と、平均88mph(約142km/h)のスライダーを中心に使用し、その他に平均85mph(約137km/h)のチェンジアップも使う[23]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2018年度シーズン終了時
独立リーグでの投手成績
- 2018年度シーズン終了時
記録
- MLB投手記録
- 初登板:2014年6月29日、対ロサンゼルス・ドジャース戦(ドジャー・スタジアム)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2015年4月28日、対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦(チェイス・フィールド)、8回裏にタフィー・ゴーズウィッシュから空振り三振
- NPB投手記録
- 初登板:2017年5月30日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、7回裏に4番手で救援登板、1回2失点[24]
- 初奪三振:同上、川﨑宗則から空振り三振
背番号
- 68 (2014年)
- 62 (2015年 - 同年途中)
- 57 (2015年途中 - 2016年、2018年 - 2019年)
- 91 (2017年)
脚注
関連項目
外部リンク
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