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ボビー・ドーア
アメリカ合衆国の野球選手 (1918-2017) ウィキペディアから
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ロバート・パーシング・ドーア(Robert Pershing "Bobby" Doerr, 1918年4月7日 - 2017年11月13日[1])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投右打。
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経歴
1934年にフリーモント高に通いながら、地元野球チームのハリウッド・スターズ(マイナーリーグAA級に相当)に所属。1936年にボストン・レッドソックスにスカウトされ、傘下のAA級・サンディエゴ・パドレス(現存のサンディエゴ・パドレスとは異なる)に配属された。1937年にメジャーデビューを果たし、以降14シーズンもレッドソックス一筋でプレー。打率3割以上を3度、オールスター選出9回[2]。同時期のジミー・フォックス、テッド・ウィリアムズらをまとめるチームのキャプテン役をつとめた。1945年は第二次世界大戦に従軍したためプレーせず。1946年のワールドシリーズでは打率.409(22打数9安打)・1本塁打・OPS 1.049と奮闘したものの、優勝にはあと一歩のところで届かなかった。1951年に現役引退。守備に定評があったが、ゴールドグラブ賞が創設される前に引退となった。通算の打撃成績はテッド・ウィリアムズに更新されるまで、安打数など複数の項目が球団記録であった[3]。

ボストン・レッドソックスの永久欠番に1988年指定。
1986年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。レッドソックスの背番号『1』は永久欠番となっている。
2017年11月13日、オレゴン州ジャンクション・シティで死去。99歳の天寿で、ルー・ゲーリッグと対戦した選手としては存命する最後の人物であり、同世代のフィル・リズート(2007年8月14日逝去)逝去後では、アメリカ野球殿堂入りした選手の中では最年長だった。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 「-」は公式記録なし。
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
- 太字はリーグ1位。
- 1945年は試合出場なし。
タイトル・記録・表彰
背番号
- 9(1937年)
- 1(1938年 - 1944年、1946年 - 1951年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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