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マイク眞木

日本の俳優、フォーク歌手 (1944-) ウィキペディアから

マイク眞木
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マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本俳優フォーク歌手。本名は眞木 壮一郎(まき そういちろう)。真木と表記される場合もあるが、正確には眞木である。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都港区赤坂出身。身長170cm。

概要 マイク 眞木, 基本情報 ...

来歴・活動

少年期から音楽に熱中しており、中学生の頃には地元のクラブに演奏に来ていたザ・ドリフターズのファンであったことを後年、『ドリフ大爆笑』(144回、1992年)の「雷様コント」にゲスト出演した際に語っている。

また、舞台美術家の父の影響もあり、幼い頃から模型作りが好きで、部屋中には模型やプラモデルだらけだった。高校3年生の頃には自宅近所のTBSの美術部で特撮のアルバイトをしていたこともある。

音楽活動

1963年昭和38年)、モダン・フォーク・カルテットを結成。

1965年(昭和40年)、日本劇場で開かれた「フォーク・フェスティバル」にアマチュアとして参加[1]。これが新興楽譜出版社(当時)の草野昌一の目に留まり、ソロ歌手としてレコードデビューすることになった。当初、眞木本人の自作曲でデビューさせる予定だったが、大衆性の面で物足りないということで浜口庫之助の未発表作品「バラが咲いた」でデビューすることが決まった[2]

1966年(昭和41年)、ソロデビュー曲「バラが咲いた」が30万枚以上を売り上げる大ヒット[3]。同曲は、レコード原盤をレコード会社(ビクター)が音楽出版社(新興楽譜出版・現シンコー・ミュージック)に依頼して制作した日本初の楽曲である。

1967年(昭和42年)、ザ・ブロードサイド・フォーのメンバーらと共にGSバンドのザ・マイクスを結成。シングル2枚をリリース。

1971年(昭和46年)10月から1972年(昭和47年)3月まで、当時の妻・前田美波里と共にNHK総合テレビジョン音楽番組ステージ101』の司会を担当した[注釈 1]。番組オリジナルソングとして作詞・作曲して披露した「のんびり[注釈 2]が、1971年モービル石油CMソングに採用されて「気楽に行こう」としてヒットした[3]

ボーイスカウトの歌集には彼の作詞・作曲による「キャンプだホイ」が収録されている。

2013年(平成25年)、小学校1年生から6年生までの同級生で作詞家の髙田戸雷から大量の歌詞が送られてきたことがきっかけで、かつての同級生に向けたアルバム「OLD SCHOOL」を発売。自身も作詞と全作曲を担当した。

その他の活動

車好きとして知られている。かつて「モーター新党」から比例区候補として第16回参議院議員通常選挙に立候補したことがある。本籍地が茨城県水戸市である縁で、水戸大使も務めている。

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家族

父は日本の舞台美術家・衣裳デザイナーの真木小太郎。最初の妻は女優の前田美波里で、俳優の真木蔵人は前田との間に授かった実子[4]

2度目の結婚・離婚(前田美波里、一般女性)を経た最終的な家族構成は、元歌手の妻・和田加奈子(一度真木と離婚したが再々婚)、長男・真木蔵人、次男・真木勇人(プロサーファー)、三男・真木泰人(プロサーファー)、四男、長女。初孫のNOAH(蔵人の長男)を初めとする6人の孫がいる。NOAHは2010年にヒップホップの2人組ユニットEWUとしてデビューしている[5]。離婚のインタビューでは「気がついたらいなかった」と語っている。

2002年平成14年)にも子供が生まれているが、高齢であることから親子というよりはむしろ祖父と孫に見られることも多いと「ごきげんよう」などのトーク番組などで何度か語っている。また本人によると自身の長女は長男である蔵人の長女と同じ年齢で同じ幼稚園に通っていた」との事である。

先祖の真木景信水戸藩に家禄三千石で仕え、その妻は藩主である徳川頼房の十女で徳川光圀の妹にあたる千姫であることがテレビ番組『私の何がイケないの?』での検証で明らかになった[6]

水戸藩初代藩主頼房時代の重臣、真木隼人景猶の墓塔の五輪塔は、水戸市千波町に現存し、水戸市指定の文化財である[7]

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エピソード

救急戦隊ゴーゴーファイブ』では、兄弟戦隊の父である巽モンド博士を演じ、共演者らは番組が終わってからも実の父親のように慕っていることを述べている[8]。第1話・第2話の撮影時点では共演者らと会話をせず怖がられていたが、アフレコ後に10年間会っていないという設定であったから喋らなかったことを明かしたという[8]

同作品第41話では、実子の蔵人と共演しており、共演者の西岡竜一朗は、真木親子は互いに尊重しあっており、熱くて真剣な同じ血が流れているのを感じたと評している[8]

出演作

映画

  • 凄い奴ら(1971年3月6日、東京映画) - 小太郎
  • ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー(1988年12月3日、プロモーティヴEye21) - 都倉康一
  • 右曲がりのダンディー(1989年8月12日、東映) - トム・小泉
  • あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE(1998年9月12日、東映) - 津山徹
  • ハート・オブ・ザ・シー(2003年8月17日、第一通信社) - 田中順次
  • 新しい風 若き日の依田勉三(2004年12月25日、松竹) - モランケ
  • ふるり(2004年製作、2009年12月台湾劇場公開、スターエンターテイメント) - 河原のおじさん ※お蔵出し映画祭2011にて日本初上映
  • HE-LOW THE SECOND(2019年) - A風文字猛 / スライダー仮面1号

吹き替え

オリジナルビデオ

OVA

テレビドラマ

テレビアニメ

音楽番組

  • ステージ101(1971年10月6日 - 1972年3月29日、NHK総合) - レギュラー司会者(当時の妻である前田美波里と二人で担当)

バラエティ

ラジオ

CM

NHK紅白歌合戦出場歴

  • 1966年 第17回「バラが咲いた」
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楽曲

シングル

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アルバム

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提供曲

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著作

  • 『マイク・美波里のアメリカふたりぼっち』 (大和書房, 1971) ※前田との共著
  • 『ジーンズとポケバイ -- マイク真木の子育て奮闘記』 (有楽出版社, 1983年1月)
  • 『親父塾 -- 私のアウトドア子育て奮戦記』 (日之出出版, 1988年12月)
  • 『いつもそこには空がある -- オート・キャンプハンドブック 全国126か所オート・キャンプ場ガイド』 (日本オート・キャンプ協会, 1989年4月)
  • 『キャンプ・ダ・ホイ -- マイク流。たのしいキャンプガイド』 (センチュリー, 1996年6月)
  • 『粋な不良になれ! -- いつも心に楊枝をくわえて…』 (ルーツ出版局, 1997年12月)※真木蔵人との共著

脚注

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参考文献

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外部リンク

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