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リック・サトクリフ
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リチャード・リー・サトクリフ(Richard Lee Sutcliffe, 1956年6月21日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州インディペンデンス出身の元プロ野球選手(投手)。ニックネームは「Red Baron」。
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経歴
1974年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから1巡目(全体21位)で指名を受け入団。
1976年9月29日にメジャーデビューし、1年目は1試合に登板。翌1977年はメジャー登板なし、1978年は2試合の登板に終わる。
1979年に先発ローテーション入りし、17勝10敗、防御率3.46で新人王に輝く(この年から1982年まで4年連続でドジャースから新人王が誕生した)。1981年にドジャースはポストシーズンに進出するが、この年2勝に終わった彼はロースターから外されてしまう。これに激怒してトミー・ラソーダ監督のオフィスに乱入し、机をひっくり返したという。これが原因で12月9日にクリーブランド・インディアンスにトレードされる。
1982年は14勝、防御率2.96で最優秀防御率のタイトルを獲得。翌1983年には17勝を挙げ、オールスターにも初出場した。1984年は開幕から4勝5敗、防御率5.15と不調でシーズン途中の6月13日にシカゴ・カブスにトレードされるが、移籍後は16勝1敗という驚異的な成績でカブスの地区優勝に貢献し、サイ・ヤング賞を受賞した。翌年カブスと126万ドルで再契約した際、メジャー最高年俸投手となった。
余談だがこの際のカブスとの契約の中に、「遠征の際のホテルはキングサイズのベッドがあるシングルルーム」という条項があり、200cmの高身長であるサトクリフならではの契約内容と話題になった[1]。
1987年にはリーグ最多の18勝を挙げ、2度目のオールスター出場。1989年には16勝を挙げ、3度目のオールスター出場を果たした(この年のナショナルリーグ監督はラソーダだった)。腕のケガで1990年は0勝2敗、翌1991年は6勝5敗に終わり、シーズン後ボルチモア・オリオールズに移籍する。
1992年4月6日、新しく完成したオリオールズのホームスタジアム「オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ」の最初の試合で先発。インディアンスを完封し新球場のオープンに花を添えた。その年は16勝、翌年は10勝を挙げる。
1994年にセントルイス・カージナルスに移籍するが、ケガに悩まされ6勝4敗、防御率6.52と不調で、7月22日の試合を最後に引退。
引退後の1998年よりESPNのコメンテーターに就任[2]。2006年のワールド・ベースボール・クラシックでも現地の解説をしていた。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝利 1回:1987年
- 最優秀防御率 1回:1982年
表彰・記録
- サイ・ヤング賞 1回:1984年
- ルーキー・オブ・ザ・イヤー:1979年
- MLBオールスターゲーム選出 3回:1983年, 1987年, 1989年
- カムバック賞 2回:1987年, 1992年
- ロベルト・クレメンテ賞 1回:1987年
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脚注
外部リンク
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