トップQs
タイムライン
チャット
視点
上中条 (熊谷市)
埼玉県熊谷市にある地域 ウィキペディアから
Remove ads
上中条(かみちゅうじょう)は、埼玉県熊谷市の大字。郵便番号は360-0001[2]。本項では同地域にかつて存在した北埼玉郡上中条村(かみちゅうじょうむら)についても記す。
地理
熊谷市北東部に位置する。南で大塚・上川上、西で今井・四方寺、北で西城・上須戸・日向、東で行田市北河原・南河原に隣接する。埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線が横断、埼玉県道303号弥藤吾行田線が縦断するが(両県道には重複区間あり)、鉄道や国道は通過していない。
小字
|
|
|
|
|
|
|
歴史
沿革
もとは江戸期より存在する上中条村、古くは戦国期より存在する上中条郷であった。条里制の「条」が由来の古名中条が地名の起源で、後に上中条と下中条に分かれたと言われている[5][6]。なお、下中条は現在の行田市の地名として残っている。
- 平安時代末、藤原氏出身の中条常光が館を構え、中条氏が発祥した[7]。
- 幕末時点では埼玉郡に所属し、知行は古河藩、岩槻藩、旗本神尾氏・八木氏・小林氏・松平氏・日下氏の相給[5]。寺社領(鹿那祇社領・吉野社領・常光院領・観音寺領)も存在した[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旗本領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)
- 1879年(明治12年)3月 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により北埼玉郡の所属となる[5]。郡役所は成田町(現行田市)に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、北埼玉郡上中条村が単独で自治体を形成[5]。今井村・小曽根村・大塚村と中条組合村を結成し、組合役場を本村に設置。
- 1909年(明治42年)8月24日 - 中条組合村を解消し、4村の区域をもって中条村が発足。同日上中条村廃止。中条村大字上中条となる[9][10]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 中条村が熊谷市に編入。熊谷市大字上中条となる[10]。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 熊谷市が周辺町と合併し、改めて熊谷市が発足された際の住所表記見直しで大字表記を除去、熊谷市上中条となる[11]。
Remove ads
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
交通
交通地点としての「上中条」は中央部の県道熊谷館林線(熊谷市街と葛和田地区を結ぶ)・弥藤吾行田線(弥藤吾地区と行田市街を結ぶ)・上中条斎条線(当地と行田市斎条地区を結ぶ)の3路線が交わる分岐点の交差点名となっており、バスの「上中条」停留所もこの付近に設置されている。
バス
- 熊谷営業所
- KM31 熊谷駅 - 北肥塚 - 中条学校 - 竹の内 - 上中条 - 公会堂前 - 葛和田
- KM32 熊谷駅 - 北肥塚 - 中条学校 - 竹の内 - 上中条
- KM33 熊谷駅 - 北肥塚 - ラグビー場入口 - くまがやドーム(上中条地内に停留所なし通過のみ)
- 第2系統:グライダー号 妻沼行政センター - 荒宿農村広場 - 観音寺入口 - 中条中学校東 - スポーツ文化公園 - 上之荘 - 熊谷駅南口
道路
- 埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線
- 埼玉県道303号弥藤吾行田線(一部県道83号と重複)
- 埼玉県道359号葛和田新堀線
- 埼玉県道362号上中条斎条線
- スポーツ公園通り
Remove ads
地域
寺社
- 観音寺
- 常光院
- 実相院
- 延命院
- 川北神社
- 秋葉神社
- 三幸神社
- 八幡神社
公園
- 熊谷スポーツ文化公園(敷地の一部のみ)
- 彩の国くまがやドーム(敷地の一部のみ)
- 中島農村公園
- 水越農村広場
- 中島農村広場
- 中条農村広場
- 荒宿農村広場
- 日向島農村広場
施設
- 熊谷上中条簡易郵便局
- 熊谷市立中条小学校
- 熊谷市中条農村センター
- 上中条集会所
- 上中条第二集会所
- 光屋敷公會堂
- 川南自治会館
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads