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上武道路
国道17号バイパス ウィキペディアから
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上武道路(じょうぶどうろ) は、埼玉県熊谷市西別府の上武インターチェンジ(深谷バイパス分岐)から群馬県前橋市田口町に至る国道17号バイパスである。上武国道(じょうぶこくどう)や上武バイパスとも呼称される[注釈 1]。


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概要
国道17号 現道は中山道で、埼玉県熊谷市・深谷市・本庄市・群馬県藤岡市・高崎市等を経由して前橋市へ向かう。しかし渋滞が多く、そのバイパスである深谷バイパスも渋滞するため、それらの根本的解決を目的として計画されたのが当バイパスである。地域高規格道路「熊谷渋川連絡道路」の一部として整備されるため、熊谷市 - 前橋市間をなるべく短距離で結んでおり、現道が経由する本庄市、藤岡市、高崎市を通らずに群馬県太田市や伊勢崎市等を経由している。
群馬県内における最後の未開通区間が2017年(平成29年)3月19日に開通したことで全通し[1]、同時に熊谷バイパス・深谷バイパス・前橋渋川バイパスと合わせ埼玉県鴻巣市から群馬県渋川市に至る熊谷渋川連絡道路としても全通となった(ただし、熊谷・深谷バイパスは側道部のみ開通)。
全線開通後は交通量の増加に伴い埼玉県内全区間と群馬県内の前橋市上細井町以北の暫定2車線の区間がボトルネックとして顕在化しており、これらの区間では渋滞が頻発している。そのため、群馬県内においては4車線化の拡幅工事が進められる一方[2]、埼玉県内でも4車線化へ向けた詳細設計が行われている[3]。
路線データ
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歴史
要約
視点
建設の背景
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東京と群馬方面を結ぶ主要幹線として国道17号の存在が挙げられるが、旧・中山道をたどるルートのため市街地の中心部を通過することが多く慢性的に混雑しており、また道路そのものも鴻巣市旧吹上町以北[6] - 埼玉・群馬県境までは対面通行となっているため、交通量と道路状況が合っていないのが現状である。加えて、東京 - 新潟間を結ぶ関越自動車道も、練馬IC - 埼玉・群馬県境間においては川越や東松山方面を通る国道254号と並走しており、国道17号との接点が非常に少ない。これを改善するため、埼玉県内においては市街地の混雑を回避する目的で熊谷バイパス・深谷バイパスが建設されたが、さらに東京 - 新潟間の国道におけるショートカットを目的として、群馬県内を斜めに通過するルートが考えられた。これが熊谷渋川連絡道路であり、上武道路は一部となっている。また位置的には関越自動車道と東北自動車道のほぼ中間に存在するため、南北方向の高速道路網が無い地域を補完する目的もある。
年表
- 1970年度(昭和45年度) : 国道50号以南のうち、延長18.4 kmが都市計画決定[7]。太田市粕川町(国道354号(現・群馬県道142号綿貫篠塚線)交点) - 前橋市今井町(国道50号交点)間延長18.9 kmが事業化[4][5]。
- 1971年度(昭和46年度) : 熊谷市西別府(起点) - 新上武大橋南詰間延長5.0 kmが事業化[4][5]。
- 1973年度(昭和48年度) : 新上武大橋南詰 - 太田市粕川町(国道354号交点)延長3.5 kmが事業化され、起点 - 前橋市今井町(国道50号交点)までの全区間事業化[4][5]。
- 1974年度(昭和49年度) : 用地着手[4][5]。
- 1975年度(昭和50年度) : 工事着手[4][5]。
- 1981年(昭和56年)3月27日 : 延長5.0 kmが暫定2車線で開通[4][5]。
- 1982年(昭和57年)4月8日 : 延長3.0 kmが暫定2車線で開通[4][5]。
- 1983年度(昭和58年度) - 1986年度(昭和61年度) : 国道50号以南のうち、延長9.0 kmが都市計画決定[7]。
- 1986年(昭和61年)11月11日 : 延長2.7 kmが暫定2車線で開通[4][5]。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年度(平成2年度) : 「尾島・境立体」用地着手[11]。
- 1991年度(平成3年度) : 前橋市今井町(国道50号交点) - 同市上泉町(前橋大間々桐生線交点)(7工区)用地着手[12][10]。
- 1992年(平成4年)
- 1995年(平成7年度) : 伊勢崎IC関連として伊勢崎市境上渕名 - 同市三和町間延長5.2 kmの4車線化事業の用地・工事着手[11]。
- 2000年(平成12年)
- 2001年度(平成13年度) : 前橋市上泉町(前橋大間々桐生線交点) - 同市田口町(現道交点)の延長8.2 km事業化[4][5]。
- 2003年(平成15年)3月18日 : 延長1.6 kmが4車線化[4][5]。
- 2004年(平成16年)2月25日 : 延長0.7 kmおよび延長1.9 kmが4車線化[4][5]。
- 2005年(平成17年)
- 2008年(平成20年)6月22日 : 前橋市富田町(藤岡大胡線交点) - 同市上泉町(前橋大間々桐生線交点)間延長2.9 kmが暫定2車線で開通[4][5][9]。
- 2009年(平成21年)3月18日 - 太田市粕川町 - 同市世良田町間延長1.35 kmおよび伊勢崎市境三ツ木 - 伊勢崎市境下渕名間延長3.50 km(両区間中間部の尾島境立体を除く)が4車線化[4][5][13]。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 太田市阿久津町(阿久津交差点) - 同市安養寺町(安養寺交差点)間延長1.4 kmが4車線化[4][5][14]。
- 2012年(平成24年)
- 2014年(平成26年)3月20日 : 太田市世良田町 - 伊勢崎市境三ツ木間延長1.7 km(尾島・境高架橋)が4車線化。これにより、太田市武蔵島町 - 前橋市今井町(国道50号交点)間延長21.4 kmが完全4車線化された[5][18]。
- 2017年(平成29年)
- 2021年(令和3年)9月10日 : 前橋市上泉町(上武上泉交差点) - 同市鳥取町間(上武鳥取交差点)延長2.6 kmが4車線化[19]。
- 2023年(令和5年)2月28日 : 前橋市鳥取町(上武鳥取交差点) - 同市上細井町(上武上細井交差点)間延長2.1 kmが4車線化[20][21]。
- 2024年(令和6年)3月25日 : 群馬県前橋市今井町 - 同市富田町間延長2.4 kmの4車線化[22]。
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路線状況
埼玉県と群馬県の県境「利根川」には新上武大橋が架かる。昼・夜に関わらず交通量が多く、夜間はトラックの往来が激しい。路面は1981年(昭和56年)に開通した区間は一般的にアスファルトを使用しているが、1992年(平成4年)に開通した区間は新上武大橋を除き、静粛性を高めるためにコンクリートとなっている[注釈 2]。
新上武大橋の群馬県側には上下線ともに休憩施設(尾島パーキングエリア)があり、トイレが設置されている。昼・夜に関わらず長距離トラックドライバーの仮眠場所とされているが、2012年(平成24年)3月30日に前橋方面に3 kmほどの太田市粕川町に「道の駅おおた」が開設された。
最後の未開通区間となる前橋市上細井町 - 前橋渋川バイパス間は、用地買収と工事が進められており、2016年度(平成28年度)の開通予定とされていた[23]。
2016年(平成28年)10月6日、未開通区間の建設現場で鉄鋼スラグに類似する不純物が発見され、安全確認のため、12月4日まで工事が中断されていた[24]。群馬県による調査の結果、この不純物は現場にもともと埋没していたものではなく、工事で使用された天然砕石の採掘作業時に鉄鋼スラグが混入し持ち込まれたものであることが確認された[25]。鉄鋼スラグの問題はあったが、予定通り2016年度(平成28年度)内の2017年(平成29年)3月19日に全線開通した[1]。
また、4車線化拡幅工事を順次進められており、太田市安養寺町 - 伊勢崎市境下渕名 間の跨道橋などの部分(延長2.5 km)は2012年(平成24年)11月27日に、伊勢崎市・太田市境の尾島境立体 (延長1.7 km) は2014年(平成26年)3月20日にそれぞれ4車線化され、これにより群馬県内では利根川から前橋市今井町の国道50号交差部にかけての延長約21 kmが完全4車線化された[26]。国道50号以北の4車線化は順次進められ、2024年(令和6年)3月25日に上細井町まで4車線化された[22]。
道路施設
道の駅
交通量
平日24時間交通量(台)(平成27年度道路交通センサスより)
- 深谷市石塚1006 : 23,262
- 伊勢崎市三和町2717 : 45,594
- 前橋市荒口町 : 6,400
- 前橋市富田町 : 5,564
- 前橋市江木町 : 2,351
地理
要約
視点
通過する自治体
交差する道路
- 上側が起点側、下側が終点側。左側が上り側、右側が下り側。
- 交差する道路の特記がないものは市道。
- 立体交差の欄は、○:一般的な立体交差(陸橋)、予:立体交差(陸橋)のスペースがあるが平面交差運用、(空欄):平面交差、イ:インターチェンジ構造
※ 立体交差は、伊勢崎IC以外の全てが、上武道路の本線が陸橋で交差する道路を跨いでいる。
沿線
接続するバイパスの位置関係
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脚注
関連参考文献
関連項目
外部リンク
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