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中上健次

日本の小説家 (1946-1992) ウィキペディアから

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中上 健次(なかがみ けんじ、1946年昭和21年〉8月2日 - 1992年平成4年〉8月12日)は、日本小説家[1]。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀

概要 中上 健次(なかがみ けんじ), 誕生 ...

和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行をする。1976年』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。

紀伊半島紀伊)を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」(中上は被差別部落の出身で、自らの生まれた部落を「路地」と名付けた)のなかの共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」[2]とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。

主要作品に『枯木灘』(毎日出版文化賞芸術選奨新人賞)『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『奇蹟』などがある。

1992年腎臓癌の悪化により46歳の若さで死去した[1]

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来歴

要約
視点

複雑な生い立ち

和歌山県新宮市で父、鈴木留造(とめぞう[3])と母、木下ちさと[3](千里)[4]との間に私生児として生まれた[5]。ちさとは、健次を妊娠中に、ある女性から、留造には他に女が二人いてそのうちの一人は妊娠しているという事実を知らされる。ちさとは留造と別れて一人で健次を産んだ[6]。留造はこの女性と結婚し、この女性は健次の異母弟を産む。留造はこの女性との間にさらに二児をもうけた[注釈 1]

ちさとには死別した前夫の木下勝太郎との間に既に四人の子供がおり、留造と別れたあとは女手一つで行商をしながら子供たちを育てる[8]。1953年、ちさとは、後に健次の義兄となる男児と二人で暮らす中上(なかうえ)七郎と出会い、まだ7歳と幼かった末子の健次だけを連れて同居、四人での生活をはじめた[9]。七郎はこの頃は日雇いの土木作業員であったが、のちに土建請負業者になる[10]

1953年、新宮市立千穂小学校に入学する。1959年、小学六年生の終わり頃、12歳年上の異父兄・木下行平(いくへい[11])が24歳で、アルコール中毒の果てに縊死するという事件が起こる。行平は、ちさとと健次が中上七郎と暮らすために引っ越した後、もとの家に一人残され、鶏を飼いながら孤独に暮らしていた[12]。見捨てられたと感じていた行平は、酒に酔っては斧を手にして、健次たちの家に何度もどなり込んできたという[12]。行平の自殺は健次の大きなトラウマとなった[13][注釈 2][注釈 3]

1962年、中学校卒業の直前、ちさとと健次は、七郎のもとに入籍する[17][18]。同年、和歌山県立新宮高等学校に入学する。マルキ・ド・サドルイ=フェルディナン・セリーヌジャン・ジュネなどを読む[注釈 4]。また、当時新進作家だった大江健三郎[注釈 5][注釈 6]石原慎太郎などの日本人作家の作品も読んでいる[27][28][注釈 7][注釈 8]

修行時代、芥川賞受賞

1965年、早稲田大学受験の名目で同級生とともに上京するが[35]、実際に大学受験をしたかどうかは定かではない[36][37]。その後入学した早稲田予備校には三ヶ月も通っておらず[38]、仕送りを受けながら、仕事もせずに、新宿あたりをうろつくといった生活をしていた[39][注釈 9]。当時盛んだったフリージャズを中心とするモダンジャズにのめりこみ、ジャズ喫茶のジャズビレッジ[注釈 10] やビレッジバンガード[注釈 11]に入り浸った[注釈 12]

1965年の秋、原稿を投稿するために月会費を払い込んで同人誌『文藝首都[注釈 13]の会員となる[48]。翌年、投稿した『俺十八歳』が掲載される[注釈 14]。その後、同誌の同人となり[51]エッセイ、創作を同誌に発表していく[注釈 15]。この頃は、盛んに詩作をしており『文藝首都』『詩学』『文學界』などへ詩を発表している[34][注釈 16]。また『文藝首都』を通じて、後に妻となる山口かすみ[注釈 17]津島佑子[注釈 18]と知り合っている。

1967年頃には新左翼運動に関わっている[56]。偽学生として早稲田大学でブント系の組織と接触して羽田闘争に参加している[31][57]。1968年、『三田文学』誌を通じて柄谷行人 と知り合い[注釈 19][注釈 20] 、柄谷からウィリアム・フォークナー[注釈 21]エリック・ホッファーなどを勧められて大きな影響を受けた。1970年、交際していたかすみの妊娠を機に結婚する。入籍時、名字の読み方をそれまでの「なかうえ」から「なかがみ」に変更する[注釈 22]。結婚をきっかけにして、中上は肉体労働を始め[63]、その夏から羽田空港で貨物の積み下ろし業務に従事する[34][64][注釈 23]

1973年『十九歳の地図』が芥川賞候補となる。これを受けて1974年から文芸誌への作品掲載が増え始める[66][注釈 24] 。羽田での仕事を辞めて、その後二年間、築地魚河岸や運送会社などでフォークリフトの運転手をして生計をたてながら[34][67]執筆を続ける。1975年『鳩どもの家』『浄徳寺ツアー』が続けて芥川賞候補となる。1976年、熊野の「路地」を舞台に、家業の土方仕事に従事[注釈 25]する青年を中心とした複雑な血族の物語を描いた『[注釈 26]で第74回芥川賞を受賞する。戦後生まれで初めての受賞者であった。

人気作家として

1976年『岬』の続編として、自身初の長編小説で代表作となる『枯木灘』を上梓する。本作は『岬』の土着的世界に、父と子の対決という構図を前面に出してオイディプス的な神話的相貌を与え、また雑賀孫一伝説を取り入れ歴史的な重層性を持たせることで、格段にスケールを大きくした作品で[70]、高い評価を獲得した。同作品で毎日出版文化賞芸術選奨新人賞を受賞する。1977年、紀伊半島全域を旅して巡るドキュメント『紀州 木の国 ・根の国物語』[注釈 27]を『朝日ジャーナル』に連載する。この旅行は作家にとって自らの文学の背景である紀州熊野というトポスを再発見する機会であった。同年、ニューヨーク、ハーレム地区に滞在する[71][72]。1978年、郷里の文化振興のため、吉本隆明[注釈 28] らを招いた連続公開講座を開催する[75]

1979年、一家でロサンゼルスへ移住する[76][77][78]。1980年、実母をモデルにした小説で『岬』の前日譚にあたる『鳳仙花』を発表する。1981年、ソウル汝矣島に滞在し金芝河ら韓国の文学者と交流する[79]。1982年、「淫蕩な歌舞音曲好きの澱んだ血」[80]筋により愉楽に満ちた生を送り、一方で引き換えに早死にも宿命づけられた、高貴な血を引く若者たちの短い生涯を描いた短編連作『千年の愉楽[注釈 29] を発表する。代表作の一つとされる。同年、アイオワ大学インターナショナル・ライターズ・プログラム客員研究員としてアイオワに滞在してプログラムに招聘された世界の文学者と対話する[82]

1983年、『岬』『枯木灘』の続編にあたる書き下ろしの大作『地の果て 至上の時[注釈 30]を発表する。本作と連作短編集『熊野集』(1984年)では,自身の文学的トポスである「路地」の経済開発による消滅が主題とされた[注釈 31][注釈 32]。続く1984年発表の長編『日輪の翼[注釈 33][注釈 34][注釈 35]では「路地」の消滅後に、故郷を捨てて流浪する若者の姿が描かれた。1986年、コロンビア大学の客員研究員としてニューヨークに滞在している[87][注釈 36]。1988年、三島由紀夫賞が創設され[注釈 37] 選考委員となる。1989年、『千年の愉楽』の続編となる長編『奇蹟[注釈 38]を発表する。同年、地元文化交流の組織である「熊野大学」の開設 [93]をする。

1990年、『日輪の翼』の続編となる『讃歌』を発表する。1990年に永山則夫日本文藝家協会から死刑囚であることを理由に入会を断られた際、この決定に抗議して柄谷行人、筒井康隆とともに協会を脱会している[94][34]。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、津島佑子田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

早すぎる死と没後

作家として多忙をきわめ、それまでの「路地」を主題とした作風からの転換を示す『軽蔑』を上梓した矢先の1992年夏、腎臓癌のため和歌山県東牟婁郡那智勝浦町内の日比病院で死去した[注釈 39]。連載または休載中だった『異族』『鰐の聖域』『熱風』『大洪水』[注釈 40] 『宇津保物語』などが未完となり、『異族』[注釈 41]『鰐の聖域』が没後刊行された(それ以外の未完作品は全集にのみ収録されている)。

没後、1995年〜1996年に集英社から柄谷行人、浅田彰、四方田犬彦、渡部直己を編者として全集(15巻)が刊行された。その後、1998年〜2000年に小学館より文庫選集(12巻)が刊行された。2012年〜18年、インスクリプトより選集(10巻)が刊行されている。2016年〜17年、小学館より電子書籍として中上健次電子全集(21巻)が刊行されている。

2023年、岩波文庫より『中上健次短編集』が刊行された。

現在も「熊野大学」主催による「熊野大学夏季セミナー」が毎夏に新宮市で開催されている。講師には、柄谷行人、浅田彰などが参加している[34]。受講生にはモブ・ノリオなどがいた[95]

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人物・エピソード

豊富な素材
自身の境遇について、作家としての素材を豊富に持つと自負していた。実際、多くの作品において言及される異父兄の自死、『』『枯木灘』『地の果て 至上の時』に描かれる複雑きわまる血縁関係[96][97]、『蝸牛』『岬』で取り上げられた姻戚の間で生じた殺人事件[98][99]、『千年の愉楽』『奇蹟』において狂言まわしとなる産婆オリュウノオバ[100]や『奇蹟』において非業の死を遂げる主人公のヤクザ者タイチ[101]の存在等は事実をもとにしている。
犯罪事件への関心
自身の親族に関すること以外で、中上の創作のインスピレーションの源となったものとして大きなものは、現実に起きた三面記事に記載されるような犯罪事件である[注釈 42]。小説『蛇淫』の主人公の青年による親殺し[102]、『地の果て至上の時』の新興宗教の儀式により親族内で生じた死体遺棄[103]『火まつり』で描かれる猟銃による一家全員殺害[104]は現実の事件を参考にしている。
執筆スタイル
無名時代は肉体労働のかたわら、作家としての成功後も喫茶店などを書斎代わりにして[105]、執筆をおこなった中上が、原稿用紙のかわりに、持ち運びの容易な集計用紙をもちいて執筆をおこなっていたことはよく知られている。中上によると集計用紙一枚が、原稿用紙五枚から七枚の分量に相当するという[106]。升目の無い集計用紙に、改行や空白も設けず、独特の字体の文字がびっしりと埋めつくされた原稿の見た目は異様な迫力を有している。死後すぐに編纂された集英社版全集の見返しの装丁菊地信義による)に使われた[注釈 43]
酒豪
中上は酒豪として名を馳せた。酒乱の気味もあったようで酔って暴れることもあったという。酒乱のエピソードはエッセイで自嘲的に綴られたり[107][108][109]、私小説的な作品(『火宅』『楽土』など)に題材として取り入れられた。西新宿に仕事場を構え、ゴールデン街や新宿二丁目の文壇バーなどに足繁く通った。夜の新宿の盛り場は、後期の作品『讃歌』『軽蔑』の舞台になっている[110]
幅広い交友
人的な交流は幅広く、作家や批評家以外にも、文化人(例:坂本龍一[注釈 44]唐十郎など)、芸能人(例:都はるみビートたけし宇崎竜童など)、学者(例:阿部謹也中村雄二郎上野千鶴子など)らと時代や世相、思潮、文化、歴史など多岐のジャンルにわたる対談、座談を数多く行った。それらのほとんどはのちに発言集、対談集に編纂されている。
多彩な活動
中上は単なる純文学の作家であることにとどまらず、文化的な寵児であった[注釈 45]。次のように、多様なやり方で作品を発表している。映画『火まつり』(1985年) においては、自作脚本を映画化するとともに、インタビュー本(『火の文学』)、原作小説(『火まつり』)を出版するというようなメディアミックスの試みをおこなっている[注釈 46][注釈 47]。小説『物語ソウル』、エッセイ『輪舞する、ソウル。』では、それぞれ、写真家の荒木経惟篠山紀信とのコラボレーションをおこなっている。野外劇のための台本『かなかぬち ちちのみの 父はいまさず』を外波山文明[注釈 48]のために書き下ろした[注釈 49]。本作は1979年浅草稲村劇場での初演以降、場所を変えて何度も上演された。1986年には故郷の熊野本宮大社での上演が行われている[116]。また、文芸誌にとどまらず若者向けの週刊誌や情報誌への連載を旺盛におこなっている(1978年『週刊プレイボーイ』誌 『RUSH』[注釈 50] 、1984〜85年『BRUTUS』誌『野性の火炎樹』、1984〜85年『平凡パンチ』誌『Heat Up』[注釈 51]、1986年『Hot-Dog PRESS』誌 『KENJI' S MAGICAL TOUR IN U.S.A.』[注釈 51] 、1990〜92年『週刊SPA』誌『大洪水』)。中上は海外渡航や滞在も多かったが、その見聞は多数のエッセイ(『America, America』『輪舞する、ソウル。』『スパニッシュ・キャラバンを捜して』[注釈 52] など)、創作(『町よ』[注釈 53] 『物語ソウル』『野生の火炎樹』『火ねずみの恋』[注釈 54] など)の素材ともなった。
ニューアカデミズムとの関係
中上の文学を高く評価した批評家である柄谷行人蓮實重彦と交流[注釈 55][注釈 56] があったこともあり、1980年代に流行した思潮であるニューアカデミズムに大きな関心を示し、言及も頻繁におこなっている[118][119][120]。ニューアカデミズムに属するとされる思想家(山口昌男[注釈 57]栗本慎一郎[123][124][125][注釈 58]四方田犬彦[126][注釈 59] など)との活動や対話もおこなった。1986年にはパリ、ポンピドゥ・センターで開かれた「前衛の日本 」展に柄谷行人 、蓮實重彦、浅田彰と参加し、ポスト構造主義の思想家ジャック・デリダと公開対談をおこなっている[128]
音楽への関心
中上と音楽との繋がりは深い。最初に音楽に出会ったのは中学生の頃、コーラス部に所属したことである。クラシック音楽に目覚め、その道に進みたいという希望もあったが、両親の理解が無く断念している[129]。高校を卒業して上京すると高校の先輩が経営しているジャズ喫茶でジャズに開眼し、シャズ喫茶に入り浸るようになった。マイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンアルバート・アイラー等を愛好した[130]。中上はジャズに関するエッセイを多く物しており、それらは現在では『路上のジャズ』に纏められている。『紀州 木の国 ・根の国物語』取材の頃ボブ・マーリーの「エクソダス」のプロモーションテープを送られたことでレゲエを知り熱中する[131]。1980年にはボブ・マーリーにインタビューを行い、「週刊プレイボーイ」に掲載された[132]。エッセイ集『バッファロー・ソルジャー』のタイトルはボブ・マーリーの同名曲から取られている[133]。中上は夜の酒場では主に演歌を歌った[134]。歌手都はるみとはファンが高じて、雑誌『月刊カドカワ』の取材で対談し[135]、その後も親交を持った。都はるみについての本を二冊(『天の歌 小説都はるみ』『都はるみに捧げる』)執筆し、コンサート(1991年 都はるみ in熊野神社)のプロデュースも行なった。1980年代に韓国に取材したおりに、音楽集団サムルノリを知り、その音楽性の高さに衝撃を受けた。多数のエッセイで熱心に紹介している[136][137]。1986年六本木ピットイン公演をはじめとしたサムルノリの日本でのコンサートにはエグゼクティブ・プロデューサーとして参画している[34]
国文学への関心
日本の古典、国文学にも大きな関心を寄せた。中古の古典のなかで強い関心を寄せたのは宇津保物語である。同名の翻案小説を連載したが、この試みは頓挫し未完成作品として残っている。さらに狭く宇津保物語に限らず「うつほ」という概念がいかに文学に、または自分の小説創造において重要であるかの文学論を述べた講演がある[138]。他に中上にとって重要な古典作家は、怪異小説集『雨月物語[139]で知られる江戸中期の国学者[140]上田秋成である。中上はこの怪異物語、悪漢物語の作者を論争の相手である[141]本居宣長と対置したうえで称揚している[142][143]。中上の作品『蛇淫』のタイトルは『雨月物語』の「蛇性の婬」から取られている[144]。故郷の俳人、松根久雄との親交もあり[104][145]中上は俳句にも関心を寄せた。俳句に造詣が深い文芸評論家山本健吉や、彼から紹介された角川書店社長にして俳人角川春樹とは毎年、花見の吉野詣をするほどの親交があった[146]。角川とは『俳句の時代』という対談集をだしている。また設立した「熊野大学」において山本の著作『いのちとかたち』の購読会を行っている[147][注釈 60]
韓国への関心
中上は世界を股にかけて活動したが、韓国への思いはとりわけ強い。1978年、パンソリ、仮面劇などの民俗芸能の取材旅行を行い[153]、文化や風土に魅せられた。その後も韓国への旅行や滞在を重ね、ソウルを舞台にした小説(『物語ソウル』)、韓国の文化や風土を論ずるエッセイ(『輪舞する、ソウル。』)を著した。また金芝河尹興吉韓勝源 [注釈 61] らの韓国の文学者と交流をはかり[79][156][157]、『韓国現代短編小説』(1985年 新潮社)を編纂するなど韓国文学の日本への紹介にも努めた。
谷崎潤一郎
谷崎は中上が最も畏敬した作家の一人である[158][注釈 62] 。長編評論『物語の系譜』(『風景の向こうへ・物語の系譜』所収)においては、一章をさいて谷崎を論じて、谷崎を「物語のブタ」と呼び、愛憎半ばする感情を吐露した[158]。また連作短編集『重力の都』では谷崎作品のパスティーシュを行い[160][注釈 63]、「あとがき」において同作を「大谷崎の佳作への、心からの和讃」とし、執筆にあたり「物語という重力の愉楽をぞんぶんに味わった」と述べた[158]。対談において、谷崎作品のベスト3として、『吉野葛 』『春琴抄』『少将滋幹の母 』を挙げたことがある[161]。受賞に執念をみせた[162][163][164]谷崎潤一郎賞には6回(『枯木灘』[注釈 64] 『鳳仙花』『地の果て 至上の時』『日輪の翼』『奇蹟』[注釈 65] 『讃歌』[34])候補となったが、受賞を逸した。中上健次の抗議をきっかけに、谷崎賞は候補作の発表をやめて、受賞作だけが発表されることになった[167]
ノーベル賞
1980年代半ば、フランス、ファイヤール(Fayard)社と契約し、1988年の『千年の愉楽』を皮切りにして順次フランス語訳が出版されている。ファイヤール社はガブリエル・ガルシア=マルケスをノーベル賞に押し上げた出版社で[168]、中上はノーベル文学賞に手が掛かったと考えていたとされる[168][169][170][注釈 66]。文学的盟友であった柄谷行人は、中上がノーベル賞を意識することからその言動が変わり、晩年の湾岸戦争反対などの運動もノーベル賞を意識したものであったとしている[168][171]。だが日本人二人目のノーベル文学賞は中上の死の二年後、中上が影響を受け[162]、また愛憎なかばする思いを抱き続けた[162][22][注釈 67] 大江健三郎に授与された[162]
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略年譜

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著作

要約
視点

中上健次電子全集21巻収録の中上健次年譜(作製・高澤秀次)による。

長編小説

短編集

連作短編集

  • 化粧(1978年 講談社doi:10.11501/12542054
    修験 / 欣求 / 草木 / 浮島 / 穢土 / 天鼓 / 蓬莱 / 楽土 / 化粧 / 三月 / 伏拝 / 紅の滝 / (以下は文庫化で追録)幻火 / 神坐 / 女形[注釈 71]
  • 千年の愉楽(1982年 河出書房新社)doi:10.11501/12542148
    半蔵の鳥 / 六道の辻 / 天狗の松 / 天人五衰 / ラプラタ綺譚 / カンナカムイの翼
  • 熊野集(1984年 講談社)doi:10.11501/12542191
    不死 / 桜川 / 蝶鳥 / 花郎 / 海神 / 石橋 / 妖霊星 / 勝浦 / 鬼の話 / 月と不死 / 偸盗の桜 / 葺き籠り / 熊の背中に乗って / 鴉
  • 重力の都(1988年 新潮社[注釈 72]doi:10.11501/13408788
    重力の都 / よしや無頼 / 残りの花 / 刺青の蓮花 / ふたかみ / 愛獣

その他の創作

  • 覇王の七日(1977年 河出書房新社) - 銅版画と小説のコラボレーション作品集で100部限定で出版された。(銅版画 中林忠良[注釈 73]
  • 南回帰船(2005年 角川書店) - 晩年に劇画の原作[注釈 74] としてかかれたもの。小説およびシナリオ形式。

エッセイなど

発言集

全集・選集

  • 中上健次全短篇小説(1984年 河出書房新社)
  • 中上健次全集 全15巻(1995年〜1996年 集英社)(連作短編集◆)
    1. 初期小説集I:十八歳 / 海へ / 日本語について / 灰色のコカコーラ / 十九歳の地図 / 黄金比の朝 他
      (JAZZ / 隆男と美津子 / 不満足 / 愛のような / 一番はじめの出来事 / 眠りの日々 / 蝸牛 / 補陀落)
    2. 初期小説集II:鳩どもの家 / 浄徳寺ツアー / 蛇淫 / 臥龍山 / 水の女 他
      (羅漢 / 火宅 / 荒くれ / 水の家 / 路地 / 雲山 / 荒神 / 鷹を飼う家 / 鬼 / 神坐 / 藁の家 / 幻火 / 赫髪 / 女形 / かげろう / 吉野)
    3. 化粧◆ / 岬 / 枯木灘 / 覇王の七日
    4. 鳳仙花 / 紀伊物語
    5. 千年の愉楽◆ / 熊野集◆
    6. 地の果て 至上の時
    7. 日輪の翼 / 讃歌
    8. 町よ / 物語ソウル / 輪舞する、ソウル。 / 火まつり / 天の歌 小説都はるみ / 戯曲
    9. 十九歳のジェイコブ / 野性の火炎樹
    10. 重力の都◆ / 奇蹟
    11. 天の歌 / 大鴉 / 軽蔑 / 青い朝顔
    12. 未完小説集I:宇津保物語 / 異族 / 火ねずみの恋 / 吉野 / 蘭の崇高
    13. 未完小説集II:鰐の聖域 / 大洪水 / 熱風
    14. 評論・エッセイI:初期創作・詩編 / 初期文集 / 鳥のように獣のように(抄) / 単行本未収録作品(1975年~1976年) / 夢の力(抄) / 単行本未収録作品(1977年~1979年) / 紀州 木の国・根の国物語 / America, America(抄) / On the Border(抄) / スパニッシュ・キャラバンを捜して(抄)
    15. 評論・エッセイII:破壊せよ、とアイラーは言った(抄) / 風景の向こうへ(抄) / 単行本未収録作品(1976年~1983年) / 時代が終り、時代が始まる(抄) / 単行本未収録作品(1983年~1992年) / バッファロー・ソルジャー(抄) / 選評・文芸時評 / 年譜
  • 中上健次選集 全12巻(1998年〜2000年 小学館)
    1. 枯木灘 / 覇王の七日
    2. 異族
    3. 紀州 木の国・根の国物語
    4. 鳳仙花
    5. 日輪の翼
    6. 千年の愉楽
    7. 奇蹟
    8. 讃歌
    9. 熊野集 / 火まつり
    10. 地の果て 至上の時
    11. 十九歳の地図 / 蛇淫 他
      (一番はじめの出来事 / 鳩どもの家 / 浄徳寺ツアー / 水の女)
    12. 岬 / 化粧 他
      (臥龍山 / 藁の家 / 修験 / 重力の都)
  • 中上健次集 全10巻(2012年〜2018年 インスクリプト)
  • 中上健次電子全集 全21巻(2016年〜2017年 小学館)
  • 中上健次短編集(2023年 岩波書店)
    隆男と美津子/ 十九歳の地図/ 眠りの日々/ 修験/ 穢土/ 蛇淫/ 楽土/ ラプラタ綺譚/ かげろう/ 重力の都

フランス語訳のある作品

  • (1988年)『千年の愉楽』Mille ans de plaisir:訳 Véronique Perrin
  • (1989年)『枯木灘』La Mer aux arbres morts :訳 Jacques Lalloz 大浦康介
  • (1993年)『鬼の話』Une Histoire de démon :訳 Jacques Lévy
  • (1994年)『日輪の翼』Sur les ailes du soleil:訳 Jacques Lalloz
  • (1995年)『讃歌』Hymne :訳 Jacques Lévy
  • (1998年)『岬』Le Cap :訳 Jacques Lévy
  • (2000年)『地の果て至上の時』Le Bout du monde, moment suprême:訳 Jacques Lalloz
  • (2004年)『奇蹟』Miracle:訳 Jacques Lévy

英訳のある作品

  • (1983年)「半蔵の鳥」Hanzo's Bird:訳 リービ英雄
  • (1986年)「不死」The Immortal :訳 Mark Harbison
  • (1998年)『蛇淫』Snakelust:訳 Andrew Rankin
    →「蛇淫」の他に「修験」「草木」「化粧」「紅の滝」「鬼の話」「重力の都」を収録
  • (1999年)『岬』The Cape : And Other Stories from the Japanese Ghetto:訳 Eve Zimmerman
    →「岬」の他に「火宅」「赫髪」を収録

中国語訳のある作品

  • (2021年)『千年の愉楽』(王奕紅と劉国勇訳、南京大学出版社,中国語名《千年愉乐》)
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映画化された作品

研究・評伝

  • 四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』新潮社、1987年。増補版、1996年。ちくま学芸文庫、2001年
  • 明石福子『中上健次論:幻視の地が孕むもの』編集工房ノア、1988年
  • 柄谷行人『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996年。講談社文芸文庫、2006年
  • 『群像 日本の作家 24 中上健次』小学館、1996年
  • 渡部直己『中上健次論:愛しさについて』河出書房新社、1996年
  • 高澤秀次『評伝中上健次』集英社、1998年
  • 柄谷行人・渡部直己 編『中上健次と熊野』太田出版、2000年
  • 張文頴『トポスの呪力:大江健三郎と中上健次』専修大学出版局、2002年
  • 高澤秀次『中上健次事典:論考と取材日録』恒文社、2002年
  • 辻章『時の肖像:小説・中上健次』新潮社、2002年
  • 『文藝別冊 中上健次:路地はどこにでもある』河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2002年。増補版2011年
  • 守安敏司『中上健次論:熊野・路地・幻想』解放出版社
  • 中上紀『夢の船旅:父中上健次と熊野』河出書房新社、2004年
  • 井口時男『危機と闘争 大江健三郎と中上健次』作品社、2004年
  • 中上菜穂『秘密の小道:陶芸コト始め』ぴあ株式会社、2004年
  • 高山文彦『エレクトラ : 中上健次の生涯』文藝春秋、2007年。ISBN 9784163696805全国書誌番号:21348377。「「オール讀物」(2003年11月号-2007年6月号) の連載をまとめ、加筆訂正を施したもの」
  • 柴田勝二『中上健次と村上春樹 <脱六〇年代>的世界のゆくえ』東京外国語大学出版会、2009年
  • 『別冊太陽:中上健次 没後二〇年』高澤秀次 編、平凡社、2012年。文学アルバム
  • 渡部直己『言葉と奇蹟:泉鏡花・谷崎潤一郎・中上健次』作品社、2013年[注釈 81]
  • 安岡真『中上健次の「ジャズ」:1965年新宿から古層へ』水声社、2013年
  • 浅野麗『喪の領域 : 中上健次・作品研究』翰林書房、2014年
  • 河中郁男『中上健次論:死者の声から、声なき死者へ』鳥影社、2014年
  • 河中郁男『中上健次論:父の名の否、あるいは資本の到来』鳥影社、2015年
  • 三上治『吉本隆明と中上健次』現代書館、2017年
  • 今井亮一『路地と世界:世界文学論から読む中上健次』松籟社、2021年
  • 劉国勇『中上健次文学における「路地」: 語誌的研究から抑圧の構造論へ』デザインエッグ社、2021年
  • 渡邊英理『中上健次論』インスクリプト、2022年
特集号

英語によるもの

  • Nina Cornyetz, Dangerous Women, Deadly Words: Phallic Fantasy and Modernity in Three Japanese Writers . Stanford University Press, 1999.
  • Mats Karlsson, The Kumano Saga of Nakagami Kenji. Stockholm, 2001.
  • Eve Zimmerman. Out of the Alleyway: Nakagami Kenji and the Poetics of Outcaste Fiction. Harvard, 2008.
  • Anne Thelle. Negotiating Identity: Nakagami Kenji’s Kiseki and the Power of the Tale. Iudicium, 2010.
  • Anne McKnight. Nakagami: Japan, Buraku and the Writing of Ethnicity. University of Minnesota, 2011.
  • Machiko Ishikawa. Paradox and Representation: Silenced Voices in the Narratives of Nakagami Kenji, Cornell University Press, 2020.
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脚注

外部リンク

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