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中京大学硬式野球部

日本の大学野球チーム ウィキペディアから

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中京大学硬式野球部(ちゅうきょうだいがくこうしきやきゅうぶ、: Chukyo University Baseball Club)は、愛知大学野球連盟に所属する大学野球チーム。中京大学の学生によって構成されている。愛知大学リーグ戦で通算43回の優勝実績があり、愛知学院大学の47回に次ぐ2位の記録となっている(2024年春季リーグ戦終了時点)。

概要 加盟団体, 本拠地 ...

創部

1954年昭和29年)、中京短期大学準硬式野球部として発足。

1956年(昭和31年)4月、中京大学となり準硬式野球部から硬式野球部として分離独立。同年秋、愛知大学野球連盟2部加盟。初代部長・瀧正男、監督・梅村行雄、主将・村上八郎、主務・山本正治(旧姓金沢)。主力は投手・紀藤、榊原(兼外野手)、捕手・杉浦、宇野(兼一塁)、内野手・柳川、梶浦、松原、外野手・村上、武田ら。同年秋の入れ替え戦で南山大学を下し1部昇格(主に中京大学体育会誌より)。

1970年前後にかけて、榎本直樹上西博昭宮本四郎ら各年代の投手陣を擁して全国大会で活躍した。

歴史

  • 1954年(昭和29年) 、中京短期大学準硬式野球部として創部。
  • 1956年(昭和31年) 、新制大学の中京大学に改組後、準硬式野球部から硬式野球部として分離独立し愛知大学野球連盟に加盟。同秋、1部最下位の南山大を入れ替え戦で降し、1部に昇格。
  • 1957年(昭和32年)春、 打線の中軸を担った3年柳川福三(61年の柳川事件当事者)らを擁して愛知大愛知学院大などを退け、リーグ戦で初優勝。
  • 1959年(昭和34年) 春、2年小川敏明捕手(60年秋に中退)らを擁してリーグ戦で2回目の優勝。ここから1964年春までリーグ戦11連覇を遂げる。続いて全日本大学選手権第8回大会)に初出場し、準決勝で関西学院大に1-2で敗退。以降、1964年の第13回大会まで6年連続で準決勝進出。
  • 1961年(昭和36年) 春、第15回日本学生野球協会結成記念野球大会大学の部 準決勝進出。
  • 1963年(昭和38年) 春、4年平沼一夫投手や打撃で活躍した1年木俣達彦捕手(翌64年に中退)らを擁して、第12回全日本大学選手権初戦2回戦で立命館大を10-0(5回コールド)で下し、準決勝で駒沢大に0-5で敗退。
  • 1964年(昭和39年)秋、愛知学院大にリーグ戦7回目の優勝を許し、中京大は愛知大に次ぐ3位。リーグ戦連覇が11で止まる。
  • 1965年(昭和40年) 春、リーグ戦で13回目の優勝。翌66年春までリーグ戦3連覇。続く第14回全日本大学選手権1回戦で、3年里見忠志投手や4年長池徳二ら擁する法政大を4-3で下し、2回戦(準々決勝)で選手権初出場の東海大に2-7で敗退。
  • 1968年(昭和43年)秋、リーグ戦で優勝し、ここから71年春までリーグ戦6連覇を遂げる。
  • 1969年(昭和44年) 春、第18回全日本大学選手権2回戦(準々決勝)で、4年久保田美郎と1年山口高志両投手擁する関西大に5-6(7回日没コールド)で敗れる。
  • 1970年(昭和45年)
    • 春、エースの4年榎本直樹と3年大島忠一のバッテリーを擁して、全日本大学選手権(第19回)で初優勝を遂げる。準決勝で関東学院大を1-0(延長12回)で破り、決勝戦で2年生エース山口高志擁する関西大を5-1で下した(ただし、日程上決勝当日30分前に準決勝の対法政大戦で延長20回を投げ抜いたため決勝戦で山口は登板しなかった)。新制大学としても初優勝となる。第二次大戦後の設立である東海大も前年1969年に初優勝を飾っているが、制度上は旧制大学になる。新制大学による初優勝は、当時のマスメディアでも大きく取り上げられた。
    • 秋、第1回明治神宮大会決勝戦で、3年川端理史投手擁する東海大に2-7で敗れ、準優勝に留まる。
  • 1971年(昭和46年)
    • 春、第20回全日本大学選手権準決勝で、優勝した4年山本和行投手擁する亜細亜大に2-8で敗退。また同選手権で、2年生田啓一が大会最多本塁打3本の大会記録(当時)を樹立する[注釈 1]
    • 秋、愛知工業大にリーグ戦初優勝を許し、中京大は2位。リーグ戦連覇が6で止まる。
  • 1972年(昭和47年) 
    • 春、第21回全日本大学選手権準決勝で、優勝した4年山口高志投手擁する関西大に0-4で敗退。3年生田啓一が第1回日米大学野球日本代表チームに選出される。
    • 秋、リーグ戦で春秋連覇。続く第3回明治神宮大会1回戦で、優勝した山口擁する関西大に1-2xのサヨナラ負けを喫する。
  • 1973年(昭和48年)、3年宮本四郎と4年上西博昭らの投手陣や4年生田啓一らの投打を擁するも、春は愛知学院大に次ぐ2位、秋は愛知工大が優勝し中京大は4位。愛知工大は翌1974年まで3連覇し、中京大は2位・3位。
  • 1975年(昭和50年)秋、57年春に1部に昇格以来、初の最下位となる。
  • 1976年(昭和51年) 春、投打で活躍する3年平野謙らの名古屋商科大(同春2位、同秋優勝)を抑え、リーグ戦で24回目の優勝。続く第25回全日本大学選手権2回戦で、このあと敗者復活戦から優勝した3年遠藤一彦投手擁する東海大に3-4で敗退。翌1977年秋、リーグ戦25回目の優勝。
  • 1982年(昭和57年) 
    • 春、前年81年秋から引き続きリーグ戦で2連覇し26・27回目の優勝。続く第31回全日本大学選手権準決勝で、3年仁村徹投手擁する東洋大に1-4で敗退。
    • 秋、リーグ戦を3連覇し28回目の優勝。翌83年春は愛知学院大に次ぐ2位。しかしこれ以降、西崎幸広投手らの愛知工業大や益田明典投手らの愛知学院大、陳大豊(大豊泰昭)らの名古屋商科大が強く、リーグ戦Bクラスに定着。1984年春には最下位となる。
  • 1986年(昭和61年)秋、リーグ戦最下位となり、入れ替え戦で名古屋学院大に敗れ、1957年春に1部に昇格以来、30年ぶりに2部に降格。翌1987年春、1部最下位の名古屋学院大を入れ替え戦で降し、1季で1部に復帰。
  • 1989年(平成元年)春、82年秋以来となる29回目のリーグ戦優勝。
  • 1992年(平成4年)春、リーグ戦最下位となり、入れ替え戦で名城大に敗れ2部に降格。
  • 1995年(平成7年)春、1部最下位の中部大を入れ替え戦で降し、1部に復帰。
  • 1997年(平成9年)秋、89年春以来となる30回目のリーグ戦優勝。この頃より、愛知学院大の3連覇や6連覇が続く1強状態となる。
  • 2000年(平成12年)春、連盟分裂騒動により、連盟分裂派ないし再編派の中京大、愛工大、名城大、愛知大、名古屋大は同春から「臨時部」に再編される。翌2001年春に4部リーグ戦から再スタートした。
  • 2002年(平成14年)春、2部1位となり、1部最下位の同朋大を降し1部に復帰。同年秋、1部に復帰するも最下位となり、入れ替え戦で愛知大に敗れ2部に降格。
  • 2003年(平成15年)春、2部2位となり、1部5位の名古屋商科大を入れ替え戦で降し1部に復帰。同年秋、1部に復帰即リーグ戦で31回目の優勝を果たす。翌2004年春も優勝し2連覇。
  • 2005年(平成17年) 、中京商業高出身で元中日ドラゴンズの中山俊丈がコーチに就任(2016年逝去)。
  • 2009年(平成21年)春、33回目のリーグ戦優勝。翌2010年春から愛知学院大にリーグ戦6連覇を許す。
  • 2013年(平成15年)春、34回目のリーグ戦優勝。
  • 2015年(平成17年)秋、リーグ戦で優勝し、翌2016年秋まで3連覇。
  • 2017年(平成19年)秋、リーグ戦で優勝し、翌2018年春まで2連覇。
  • 2019年(令和元年)秋、40回目のリーグ戦優勝。
  • 2020年(令和2年)秋、41回目のリーグ戦優勝(同春はコロナ禍でリーグ戦は中止)
  • 2021年秋、42回目のリーグ戦優勝。
  • 2022年(令和4年) 、元読売ジャイアンツの平松一宏が投手コーチに就任。
  • 2023年(令和5年) 、名城大出身で元中日ドラゴンズの蔵本英智がテクニカルアドバイザーに就任。
  • 2024年(令和6年) 春、43回目のリーグ戦優勝。続く第73回全日本大学選手権準々決勝で優勝した青山学院大に3-6で敗退。
  • 2025年(令和7年)春、44回目のリーグ戦優勝。続く第74回全日本大学選手権準々決勝で準優勝した福井工業大に1-2で惜敗。
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本拠地

愛知県豊田市貝津町床立101

記録

※ 2025年秋季リーグ戦終了時点

出身者

脚注

外部リンク

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