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中手子林
日本の埼玉県羽生市の大字 ウィキペディアから
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中手子林(なかてこばやし)は、埼玉県羽生市の大字。郵便番号348-0021[2]。本項では同地域にかつて存在した北埼玉郡中手子林村(なかてこばやしむら)についても記す。
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地理
羽生市東部に位置する。西で大沼・上手子林、南で下手子林、北で北荻島、東で加須市戸川に接する。大字北荻島の中、東北自動車道羽生インターチェンジの東側に飛地があり、北で喜右エ門新田に接する。鉄道や国道、県道は通過していない。
小字
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歴史
沿革
- 幕末時点では埼玉郡に所属し、元中手子林村とも呼ばれた。知行は旗本山高氏・羽太氏・中山氏・戸田氏・江原氏・内田氏の相給。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1874年(明治7年) - 下手子林村に合併。
- 1878年(明治11年) - 下手子林村から分立。
- 1879年(明治12年)3月 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により北埼玉郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、北埼玉郡中手子林村が単独で自治体を形成。北荻島村と中島組合村を結成し、組合役場を本村に設置。
- 1901年(明治34年)10月25日 - 中島組合村を解消し、2村の区域をもって中島村が発足。同日中手子林村廃止。中島村の大字中手子林となる。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 中島村が手子林村に編入。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 手子林村が羽生町・新郷村・須影村・岩瀬村・川俣村・井泉村と合併して羽生市が発足。
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世帯数と人口
2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
交通
バス
施設
- 手子林第二消防センター
- 文殊院
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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