トップQs
タイムライン
チャット
視点
中村忠 (サッカー選手)
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
Remove ads
中村 忠(なかむら ただし、1971年6月10日 - )は、東京都瑞穂町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。
現役時代は様々なポジションを務め、Jリーグ開幕時には右のサイドバックとしてスタメン。ユーティリティープレイヤーとして左右のサイドバック及び、センターバック、ミッドフィールダー (ボランチ) を務めた[2]。
Remove ads
経歴
6歳の時にサッカーを始める[3]。読売ユースから1990年に読売ジュニオールを経て、シーズン途中で読売クラブ(後のヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969/東京ヴェルディ)に追加登録(第11節より)される。Jリーグ創生期の"ヴェルディ黄金期"を支えた一人で[1]、以降1999年まで東京Vに所属。守備的なポジションならどこでもこなし、マンマークにも定評があった。その間に、進学校である都立立川高校、成蹊大学文学部英米文学科を卒業。
代表では主に右サイドバックの候補として加茂周から召集を受ける。レギュラーだった柳本啓成が負傷離脱しチャンスが巡ってきたが充分なアピールができず、新戦力の名良橋晃や中西永輔にポジション争いで敗れる。チームが本大会出場を決め、岡田監督が改めて本大会仕様のチームを作るために多めの選手を召集した際に代表復帰を果たし、「右でも左でも、ボランチでも、どこでもやれる」と意気込みを語ったが、本大会メンバーからは外れ、その後代表には縁がなかった。
1999年途中にJ2降格の危機となった浦和レッドダイヤモンズへレンタル移籍。リーダー格として期待されたが[4]、低迷に陥ったチームを立て直しきれずJ2降格を喫した。2000年からは京都パープルサンガへ完全移籍。2004年シーズンを最後に京都から戦力外通告を受けて現役を引退[5]。
その後は指導者の道へ進み、自らのルーツである東京Vの育成組織でコーチを務めた。2012年よりFC東京U-15むさしのコーチに就任[1]、翌2013年からは監督を務めた。2016年からU-18チームのコーチに就任、さらにS級ライセンス取得[6]。同年7月、トップチームの監督交代およびコーチ陣の変更に伴いトップチームのコーチ兼U-23チームの監督になった。18年より再びU-18コーチに。19年からは同チーム監督としてチームを牽引する。
2021年12月26日、東京ヴェルディのアカデミーヘッドオブコーチングに就任した[7]。
Remove ads
所属クラブ
個人成績
- その他の公式戦
- 1992-93年
- アジアクラブ選手権 5試合0得点
- 1993年
- アジアクラブ選手権 1試合0得点
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- アジアクラブ選手権 2試合0得点
- 1995年
- サンワバンクカップ 1試合0得点
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 試合得点
- 1997年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- アジアカップウィナーズカップ 3試合0得点
- 出場歴
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 16試合[1]0得点(1995年 - 1998年)
出場
Remove ads
指導歴
- 2005年 - 2011年 東京ヴェルディ1969/東京ヴェルディ
- 2012年 - 2021年 FC東京
- 2016年 - U-18/U-17日本代表コーチ[8]
- 2022年 - 東京ヴェルディ アカデミーヘッドオブコーチング
監督成績
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads