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柳本啓成
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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柳本 啓成(やなぎもと ひろしげ、1972年10月15日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは(DF)。現在は株式会社DF3代表取締役。YANAGI FIELD代表。YF NARA TESORO(ジュニアチーム)GM。元妻は女優・タレントの岡元あつこ。血液型B型[1]。
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経歴
大阪府東大阪市に生まれ、小学2年生のときに奈良県に転居[2]。1991年に奈良育英高校からマツダSCに入団。同期は森山佳郎、森秀昭、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。トップチームであるマツダSCでの出場機会はなかった。
サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約[3]。創設期の広島では若手選手No.1の人気を博し、全国的にアイドル的な存在だった。Jリーグ開幕時から右サイドバックのレギュラーであったが、8月に顎を骨折し戦線離脱。細身の武田修宏に弾き飛ばされた悔しさから、筋トレを真剣に取り組み強靭な体を造り上げた。1994年、センターバックに怪我人が相次いだため、センターバックにコンバートされると佐藤康之と抜群のコンビでサントリーシリーズ制覇に貢献。1995年以降は、チームの混迷や本人が嫌がったリベロでの起用のため、公然とチーム批判や監督批判を繰り広げた。
日本代表では加茂周監督時代に右サイドバックとして活躍。一時期はレギュラーに定着したが、その後怪我に泣かされ以降代表に縁がなくなった。
1999年、ガンバ大阪へ移籍。右ウイングバック、右サイドバックとしてプレー[4]。
2003年、セレッソ大阪へ移籍。3バックのストッパーやリベロの位置でプレーした[5]。
2005年7月、広島県出身のレポーター高尾晶子の紹介で知り合った女優・タレント岡元あつこと、8年間の友人関係を経て結婚。岡元とは2017年に離婚している。子供はいない。
2008年4月、株式会社DF3を設立し、地元奈良県でフットサル施設「YANAGI FIELD」を開業[2]。また、ジュニアチームYF NARA TESOROをGMとして率いる。
2019年11月、奈良市芝辻町に移転。公式戦も行われるフルコート1面フットサルコート1面を有する。
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所属クラブ
個人成績
- Jリーグ初出場 - 1993年5月16日 サントリーシリーズ 第1節 対ジェフユナイテッド市原戦(広島スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 1994年4月23日 サントリーシリーズ 第11節 対ジュビロ磐田戦(広島ビッグアーチ)
その他の公式戦
- 1994年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1995年 - 1997年)
出場
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出典
関連項目
外部リンク
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