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五木村立五木西小学校

熊本県五木村にあった小学校 ウィキペディアから

五木村立五木西小学校map
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五木村立五木西小学校(いつきそんりつ いつきにししょうがっこう)は、かつて熊本県球磨郡五木村にあった公立小学校

概要 五木村立五木西小学校, 過去の名称 ...
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...

2009年平成21年)3月末をもって閉校し、「五木村立五木東小学校」に統合された。

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概要

歴史
1875年明治8年)「中村小学校」として創立。2009年(平成21年)に閉校し、134年の歴史に幕を下ろした。
校章
中央に校名の「西小」の文字(縦書き)を配している。
校歌

沿革

  • 1875年(明治8年) - 五木村字小鶴に校舎創設。「中村小学校」と改称。
  • 1879年(明治12年)- 校舎を新築。
  • 1885年(明治18年)- 暴風により校舎が倒壊。
  • 1888年(明治21年)- 小学校令施行により、簡易科を設置の上、「中村小学簡易科教場」(簡易小学校)と改称。
  • 1890年(明治23年)- 統合により「尋常田口小学校 小鶴分教場」となる。
  • 1892年(明治25年)-「田口尋常小学校 小鶴分教場」に改称。
  • 1903年(明治36年)-「頭地尋常小学校 小鶴分教場」に改称。
  • 1904年(明治37年)- 頭地尋常小学校から分離の上、「小鶴尋常小学校」として独立。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1910年(明治43年)- 木造新校舎が完成。
  • 1922年(大正11年)4月 - 平瀬分教場を設置。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 「五木西尋常小学校」と改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「五木村五木西国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 国民学校初等科は、新制小学校「五木村立五木西小学校」(最終名)と改称。
    • 4月 - 国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校五木村立五木中学校西分校」に改組・改称の上、小学校に併設される。
  • 1951年(昭和26年)10月 - 端海野分校を設置[1]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 平瀬分校を五木村立五木東小学校へ移管。
  • 1962年(昭和37年)- 中学校分校が「五木村立五木第一中学校西分校」に改称。
  • 1973年(昭和48年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成[2]
  • 1974年(昭和49年)11月 - プールが完成[2]
  • 1975年(昭和50年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行[2][3]
  • 1978年(昭和53年)3月 - 体育館が完成[4]
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 端海野分校を休校とする。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 端海野分校を再開(6年ぶり)。
  • 1995年(平成7年)3月31日 - 五木村立五木中学校への統合のため、五木村立五木第一中学校西分校が閉校。
  • 2000年(平成12年)4月1日 - 端海野分校を再び休校とする。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 端海野分校を閉校。
  • 2009年(平成23年)3月31日 - 五木村立五木東小学校への統合により閉校。
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交通アクセス

最寄りのバス停留所
  • 九州産交バス 五木村中心部の「頭地」停留所より北側、北西側にはバス路線はない。
最寄りの幹線道路

周辺

  • NTT西日本 小鶴電話交換所
  • 白滝阿蘇神社
  • 白滝公園
  • 白滝鍾乳洞
  • 五木小川
  • 飯干川

参考文献

脚注

関連項目

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