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井洋雄
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井 洋雄(い ひろお、1937年5月2日 - )は、熊本県[1]出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投右打。
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来歴・人物
済々黌高では、1955年夏の甲子園県予選に投手として出場するが、準決勝で熊本高に9回サヨナラ負け、甲子園には届かなかった。
高校卒業後は、社会人野球の濃人渉監督率いる日鉄二瀬(福岡県嘉穂郡、日鉄鉱業二瀬鉱業所)野球部へ進む[1]。1956年の第27回都市対抗野球大会では、1回戦の対富士製鐵室蘭戦で完投、大会最少投球数77球を記録した。1958年の第29回都市対抗野球大会ではエースとして3勝をあげ、決勝に進出。日本石油に0-4で敗れるものの、日鉄二瀬の準優勝に貢献した[1]。この大会での活躍で久慈賞を獲得している。同年の産業対抗は決勝で日本ビールと対戦、村上峻介をリリーフして完封勝利、チームを初優勝に導いた[2]。チームメートに江藤慎一、財津守(後に共に中日でチームメイト)らがいた。
1959年に広島カープへ入団、1960年4月16日広島市民球場での大洋戦でプロ入り初勝利。1961年に外野手へ転向[1]。同年に広島を自由契約となり中日ドラゴンズに移籍、この年に引退した。
また、井が現役であった時はどこのチームもまだユニフォームの背番号の上にローマ字の名前が付いていなかった時代であるが、もし井に名前が付くと1文字で「I」となり、実質最もユニフォームの名前が短い選手になる。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
- 15 (1959年 - 1961年)
- 55 (1962年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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