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京都府立鴨沂高等学校

京都市上京区の府立高等学校 ウィキペディアから

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京都府立鴨沂高等学校(きょうとふりつ おうきこうとうがっこう)は、京都府京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町に所在する府立高等学校

概要 京都府立鴨沂高等学校, 過去の名称 ...
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女紅場址、京都市上京区
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京都府立鴨沂高等学校(改修前)・京都市上京区
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京都府立鴨沂高等学校・尋常中学校時明治天皇行幸所の碑・京都市上京区
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概要

1872年明治5年)、日本初官立女学校(後の高等女学校)の東京女学校(東京)に次いで、京都の官公立女学校として創立された「新英学校及女紅場」を前身とする[1]

鴨沂の名前の由来は、鴨(おう)鴨川の鴨、沂(き) は水のほとりという意味があり、「鴨川のほとりにある学校」ということから来ている。

設置学科

  • 全日制普通科
  • 定時制普通科(2019年閉制)

理念

教育方針
  1. 自発的・積極的に学習する態度を養い、基礎学力を培い、思考力を養成する。
  2. 自治活動に進んで参加し、相互の人格を尊重し、正しい方法で討論して、その結果に基づき、責任をもって行動する習慣を養う。
  3. 社会に対する関心を高め、批判的精神(クリティカルシンキング)を養成する。
  4. 勤労の誇りと喜びをもち、社会的活動に耐えうる体力を増進する。
  5. 芸術的関心を深め、豊かな情操を養う。
  6. 人間の尊厳という観点から、基本的人権についての科学的な認識を培う。

沿革

  • 1872年明治5年)4月 - 「新英学級及女紅場」が開校。日本で2校目の官公立女学校(公立としては日本初)として岩倉氏旧邸内に開設された。
    • 新英学級(新英学校)では英語の、女紅場では技芸の授業が行われていた。なお、当時の英学校は男女共学であった。
  • 1874年(明治7年)- 英女学校及女紅場と改称。完全な女子校となる。
  • 1876年(明治9年)5月 - 女学校及女紅場と改称
  • 1877年(明治10年)2月 - 明治天皇英照皇太后昭憲皇太后臨御。
  • 1882年(明治15年) - 女紅場の名を廃して京都府女学校と改称。師範科を設置。
  • 1883年(明治16年)3月 - 付属小学校を開設
  • 1884年(明治17年)6月 - 付属幼稚園を開設
  • 1886年(明治19年)4月 - 師範学校令の公布により師範科が京都府尋常師範学校に移管。付属小学校、付属幼稚園も同校に移管。
  • 1887年(明治20年) - 京都府高等女学校と改称。
  • 1890年(明治23年) - 昭憲皇太后臨御
  • 1899年(明治32年) - 国語漢文専攻科(2年制)設置
  • 1900年(明治33年)8月 - 九条殿河原町邸より現校地に移転及び、茶室と正門の同邸よりの移築
  • 1901年(明治34年) - 家事裁縫専攻科設置
  • 1904年(明治37年)4月 - 京都府立第一高等女学校と改称
  • 1909年(明治42年) - 両専攻科、3年制となる。京都鴨沂会の社団法人化
  • 1910年(明治43年) - 皇太子嘉仁親王臨啓
  • 1921年大正10年) - 高等科設置
  • 1923年(大正12年) - 京都府立京都第一高等女学校と改称
  • 1927年昭和2年) - 鴨沂会に高等女学校研究科を設置
  • 1933年(昭和8年)3月 - 本館・体育館及び北運動場の完成
  • 1936年(昭和11年) - 同窓会による鴨沂学園設立
  • 1938年(昭和13年)3月 - 図書館完成
  • 1948年(昭和23年)4月 - 戦後の学制改革により京都府立嵯峨野高等女学校と合併。京都府立洛北高等学校を同居学習として迎え入れて京都府立鴨沂高等学校に改称
  • 1948年(昭和23年)10月 - 高等学校再編成が行われ、洛北高等学校、嵯峨野高等女学校が閉校。高校三原則(小学区制・総合制・男女共学)に基づく新制高校「京都府立鴨沂高等学校」となり、普通科・商業科を置く
  • 1968年(昭和43年)9月 - 新体育館・食堂完成
  • 1985年(昭和60年)4月 - 新教育制度により普通科にI類・II類(人文系・理数系)を置く
  • 1997年平成9年)4月 - 普通科II類理数系・商業科の生徒募集停止
  • 2005年(平成17年)4月 - 普通科II類人文系の生徒募集を停止し、新たに普通科II類文理系を置く
  • 2009年(平成21年)4月 - 公立高等学校入学者選抜制度が改定、京都市北・東通学圏を京都市北通学圏へ統合し志願可能範囲が拡大
  • 2012年(平成24年)10月 - 校舎の改築方針が決定
  • 2013年(平成25年)8月 - 京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町の京都産業大学附属中学校・高等学校旧校舎に仮移転
  • 2014年(平成26年)4月 - 類型制度と総合選抜を廃止し京都市・乙訓通学圏の全域から受験が可能となる
  • 2016年(平成28年)4月 - 夜間定時制の生徒募集を停止
  • 2018年(平成30年)夏 - 新校舎完成 仮校舎から現校地へ移転
  • 2019年(平成31年)3月 - 夜間定時制を閉制
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校歌(スクールソング)

また、校歌をアレンジした「鴨沂体操」が1956年(昭和31年)に作られ、体育授業やクラブ活動にて使用されている。

年間行事

  • 4月 入学式・新入生歓迎会
  • 5月 遠足(全学年)
  • 6月 研修旅行(2年)

※研修旅行の行先は現在は北海道(過去には東京・沖縄など)

  • 9月 文化祭
  • 9月末 体育祭(当日雨天の場合10月の予備日になる)
  • 3月 卒業式

部活動

<体育系>

  • 水泳部(水球女子・アーティスティックスイミング)
  • 自転車競技部
  • バスケットボール部
  • バドミントン部
  • バレーボール(女子)部
  • フェンシング部
  • 剣道部
  • ダンス部(2007年同好会発足 2009年~)
  • 野球部
  • テニス部
  • サッカー部
  • 陸上競技部
  • 弓道部
  • 競技スポーツ部

<文化系>

  • 演劇部
  • 茶道部
  • 吹奏楽部
  • 軽音楽部
  • 書道部
  • 美術部
  • 自然科学部
  • 情報処理部
  • 放送部
  • 調理部
  • 合唱部(2014年~)
  • 京都文化クラブ

過去に存在した部活動

<体育系>

  • 柔道部
  • 水球(女子)部 → 水泳部へ
  • 水球(男子)部(~2007年)
  • バレーボール(男子)部
  • ラグビー部
  • 山岳部
  • ワンダーフォーゲル部
  • ボート部
  • スキー部
  • 卓球部

<文化系>

  • 写真部
  • 新聞部
  • 商業美術部 → 美術部と統合
  • 生物部 → 自然科学部へ
  • 民研(フォークソング)部 → 軽音楽部と統合
  • 囲碁部(~2004年)
  • 将棋部(~2004年)
  • 地平線(社会問題研究)部
  • 合唱部(旧)
  • 交通研究部
  • エスペラント部

特色・逸話

  • 私服通学を伝統としていたが教育委員会の方針により2013年度から制服が導入された。制服導入にあたっては、生徒会が独自に制服の希望や意見を求めるアンケートを行っていた[2]
  • ミックスホームルーム制で講座ごとに授業を行い、HRはクラスで行う制度があった。現在は廃止されている。
  • 戦前からすでに温水プールがあり、敗戦直後はGHQに接収[3] されたこともある。
  • 上村松園本人から寄贈された「夕暮」など、数多くの絵画や美術品などを所蔵している。
  • 正門は九条家河原町邸から移築したもので、京都府暫定登録有形文化財である。[4]他にも茶道室なども九条家ゆかりのものである。
  • 図書館の蔵書は、開架書庫に2万冊、閉架書庫に4万冊ある。
  • 1937年(昭和12年)にヘレン・ケラーが来日した際に校内講堂にて講演が行われた。
  • 門は常時開放され、生徒が昼休みに自由に外出することができたが、2013年度から禁止されている。
  • 水球部には70年以上の歴史があり、女子水球はJOCジュニアオリンピック夏季大会で2006年から3連覇を達成した。
  • 自転車競技部は幾度とインターハイに出場しており、プロの競輪選手も輩出している。
  • クラスごとに社会的なテーマを決めて街中を練り歩く伝統行事「仰げば尊し」が存在した。2013年からパレードが中止され、2015年に廃止されている[5]

最寄りのバス停・駅

著名な関係者

卒業生

皇族

教育・学問

経済

行政・司法

芸能

芸術・文芸

スポーツ

活動家

中途退学者

教職員

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登場作品

ドラマ

  • NHK大河ドラマ「八重の桜」(2013年) 京都女紅場
  • NHK連続ドラマ小説「あさが来た」(2015年) 京都府立第一高等女学校

文芸

校舎の建替え問題

2012年10月、校舎の老朽化耐震化を理由に、全面的な建替えが決定された[8]

これに対し、卒業生を中心とした「鴨沂高校の校舎を考える会」が、耐震強度不足はごく一部で、全面解体の必要は無いとして、校舎解体の反対運動をおこなっている一方、「京都府立鴨沂高校同窓会」が、全面改築による校舎整備を求めている。「鴨沂高校の校舎を考える会」は、専門家による校舎耐震診断検証(京都の近代建築を考える会)として、「解体しなくても補強改修で十分耐震化可能」と主張している[9]

これらの主張に対し、京都府教育委員会は、耐震改修では耐震性と教育環境の確保が両立できないとの見解を示し[10]京都大学防災研究所中島正愛教授など防災・地震工学の専門家の所見として「耐震診断等は適切なものであり改築は妥当」と主張している[11]

2012年6月に、京都府立大学の大場修教授らが、京都府教育委員会の依頼で調査を行い、「木造校舎共々、昭和戦前期に建てられた鉄筋コンクリート造の校舎建築群についても、その全体が保全されることが望まれる。」とした上で、「建替えを前提とした部分的保存の考え方」を報告している[12]。新聞報道では、教育委員会の会合や府議会に報告されておらず、手続き面での問題があるとしている[13]

紫野グラウンドの廃止

体育授業部活動で使用していた紫野グラウンドが、新設学校(京都府立清明高等学校[17]の建設地となった。計画の発表後に、これまで行ってきた体育授業体育祭部活動が充分に行えるとは言えないとして、同等のグラウンドの確保を求める署名運動が行われた[18]

食堂の廃止

新校舎建て替えに伴い調理設備が設置されない可能性が出たため情報公開請求が行われ、在校生による存続への署名活動が行われた。2018年の移転により廃止された[19]。現在は代替設備として京都府立高校では初めてのコンビニエンスストアが併設されている。

土壌汚染

京都府教育委員会は2015年12月に改築工事中の敷地内から環境基準を上回るヒ素を検出したと発表。土壌入れ替えなどの対策が必要となるため、完成時期は当初予定した2016年8月末から約1年半延び、2018年に完成した。

脚注

関連項目

外部リンク

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