トップQs
タイムライン
チャット
視点
伊藤利夫
ウィキペディアから
Remove ads
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日[1] - 2011年7月20日[2])は、岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
Remove ads
来歴
旧制岐阜中学校から早稲田大学第2高等学院に入学。1943年10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(最後の早慶戦)では8番右翼で先発出場している。
早稲田大学卒業[3]後は、大日本土木で1946年と1947年の都市対抗野球大会連覇に貢献。
1950年、前年暮れに創設されたばかりの近鉄パールスへ入団しプロ入り。創設メンバーとして2年間で97試合に出場、打率.263、本塁打1本、打点23、盗塁9を記録していた[1]。1950年7月20日の対阪急ブレーブス戦では、阿部八郎に9回2死までノーヒットノーランに抑えられていたが、それを阻止する安打を放っている。1952年に阪急へ移籍し、同年引退。
翌1953年から母校である岐阜高校野球部で監督を務め、森昌彦らを率いて1954年の全国高校野球選手権大会と翌1955年の全国高校野球選抜大会に出場するが、いずれも1回戦敗退。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- その他の記録
- 新人デビューからの連続試合安打:10(1950年)※加藤豪将と並び2リーグ制以降のプロ野球記録
背番号
- 23 (1950年 - 1951年)
- 25 (1952年)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads