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伊香輝男
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伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009年6月1日)は、大阪府寝屋川市[1]出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。
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経歴
同志社香里高校ではエースとして活躍。同志社大学に進学し、2年生から一塁手、外野手も兼ねる。関西六大学野球リーグでは、中心打者として1955年春季リーグで優勝を経験。同年の全日本大学野球選手権大会では準決勝で日大に延長10回惜敗。リーグ通算72試合に出場し、243打数73安打、打率.300、1本塁打の成績を残した。大学同期に青木稔、国松彰(いずれも中退)がいる。
1957年に近鉄パールスへ入団[1]。強肩好打の外野手と期待され、1年目から一軍に定着。2年目の1958年には主に中堅手として65試合に先発出場、翌1959年は主に左翼手として71試合に先発する。1960年には杉山悟、十時啓視の移籍入団もあって控えに回るが、1962年に再び左翼手のレギュラーに復帰。同年は規定打席に達しなかったものの打率.328の好記録を残す。1963年には山本八郎の移籍入団に伴い、土井正博が左翼手に回ったため定位置を譲る。その後は主に代打として出場。1966年は84試合に出場しているが守備についた試合は一度もなく、すべて代打での出場だった。この記録は2007年に立浪和義が更新するまで41年間日本記録だった。1967年からはコーチ兼任となり、1968年に引退[1]。引退後は1969年は一軍コーチ、1970年は二軍コーチを務めた[1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 3 (1957年 - 1967年)
- 52 (1968年 - 1970年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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