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佐瀬寿一

日本の作曲家 ウィキペディアから

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佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日[1] - )は、日本の作曲家千葉県勝浦市出身[1][2]

概要 佐瀬 寿一させ じゅいち, 別名 ...

佐瀬壽一の表記もある。

来歴・人物

千葉県立大多喜高等学校を経て日本大学芸術学部放送学科卒業[2]

放送作家高田文夫落語家古今亭右朝は大学の同窓生である。

学生時代はビートルズのコピーバンドなどをやっており、『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演したことがある[3][4][2]

1969年、大学在学中にピオニーズの「消えた想い出」で作詞・作曲家デビュー[1][4]。このとき印税か買取のどちらにするかと聞かれ、結局3万円の買取契約にしたものの、割と売れたので後悔したという[2]。同時期にヤマハポピュラーソングコンテストで編曲の仕事をし、音楽で生計を立てることに興味を持ち始めた[2]。ヤマハの関係で知り合ったレコードディレクターからずうとるびの曲を作らないかと依頼され、これが本格的な作曲家デビューとなる[2]。その時に書いた2曲は共にシングルA面曲に採用され[2]、1作目の「恋のパピプペポ」がヒットし[2]、2作目の「みかん色の恋」はさらにヒットした[2]

1972年、「俺は今/駄目なオイラが旅立った」で歌手としてレコードデビュー[1][4][5]

1974年、旧知の高田文夫と、当時佐瀬と同じアパートに住んでいた写真家の浅井鉄雄が共に子供番組『ひらけ!ポンキッキ』のスタッフとして関わっていたことから、同番組の総合プロデューサーであった野田宏一郎を紹介され[2]、その縁で「およげ!たいやきくん」「パタパタママ」など『ひらけ!ポンキッキ』関連の作曲を多数手がけた。「とけいのうた」では歌声も披露している[3][6]

自身の作る曲は、テンポが遅くバラード調のものだが、編曲者によるアレンジで、テンポが速く軽やかな曲に仕上がっている[注 1]キャンディーズの楽曲「暑中お見舞い申し上げます」がそれに当たる[注 2]

1980年以降は「茅 蔵人(かや くらんど)」の別名義でも楽曲制作をしている[1]。なお、茅蔵人は「火薬の島(kayaku-island)」の意で、大爆発するようにと名付けた[3][7]

歌詞サイト、ブログなどにおいて、佐藤寿一と誤表記されることも多々ある。

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主な作品

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茅蔵人名義

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脚注

外部リンク

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