トップQs
タイムライン
チャット
視点
児玉新
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
児玉 新(こだま あらた、1982年10月8日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
Remove ads
来歴
現役時代
ガンバ大阪ユースから2001年にトップチームに昇格(ユースからの同時昇格は井川祐輔、日野優)。新井場徹の後継者と目されたが、レギュラー定着には至らなかった。
2006年は京都パープルサンガにレンタル移籍。京都では左サイドバック、センターバックのレギュラーとして出場しチームに貢献した。
その活躍が認められ2007年はG大阪から清水エスパルスにレンタル移籍で加入し、左サイドバックのレギュラーとして定着。2008年にフェルナンジーニョとともに完全移籍した。
2009年と2010年は副キャプテンを務め、兵働昭弘がピッチ上に居ない場合はキャプテンマークを巻いてプレーした。2011年シーズンは5月に右膝靭帯を損傷し長期離脱した。シーズン終盤に復帰したがリーグ戦2試合に途中出場したにとどまった[1]。
2012年にセレッソ大阪に完全移籍したが、リーグ戦出場3試合、天皇杯出場1試合と出場機会に恵まれなかった。翌2013年は大分トリニータに完全移籍[2]。同年11月28日、契約満了による退団が発表された[3]。
指導者時代
2015年、古巣ガンバ大阪のアカデミーコーチに就任。2016年よりガンバのトップチームのコーチに就任。
Remove ads
エピソード
児玉農園
2007年に、気まぐれから枝豆の栽培キットを購入して、自身のブログで栽培の様子を掲載。当初明らかに間違った育て方をしていたものの、ブログを読んだ園芸好きのサポーターからのアドバイスなどを受けながら、無事収穫に至った。翌2008年にも枝豆栽培に再挑戦して1年目以上の収穫を挙げ、この枝豆は同年10月18日の川崎フロンターレ戦で「児玉選手の育てた『児だ豆』」として来場者の中から抽選で2名にプレゼントされた。
2009年にはゴーヤ、ミニトマトといった様々な野菜作りにも挑戦するなど、家庭菜園は完全な趣味となっており、同年7月には、これらの野菜をデザインしたTシャツとエコバッグをプロデュースした[4]。
スローゴール
2009年4月29日の浦和戦で、Jリーグ初ゴールを記録[5][6]。リーグ通算123試合目での初得点は、桑原裕義(244試合目)、實好礼忠(213試合目)に次いで、史上3番目のスロー記録である[7]。
プロ野球
プロ野球が好きで、大阪に住んでいた頃は阪神タイガース、オリックス・バファローズのファンクラブに入っていた[8]。
Remove ads
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
Remove ads
代表歴
- U-15日本代表
- U-16日本代表
- 1998年 - AFC U-17選手権
- U-18日本代表
- U-22日本代表
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪ユース
- 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会:1回(1998年)
- Jユースカップ:1回(2000年)
- ガンバ大阪
- Jリーグディビジョン1:1回(2005年)
指導歴
- 2015年 - ガンバ大阪
- 2015年 アカデミージュニア枚方 コーチ
- 2016年 - 2022年 トップチーム コーチ
- 2023年 - ジュニアユース コーチ
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads