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八部郡

日本の兵庫県(摂津国)にあった郡 ウィキペディアから

八部郡
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八部郡(やたべぐん)は、兵庫県摂津国)にあった

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兵庫県八部郡の位置

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、おおむね下記の区域にあたる[注釈 1]

郡名の由来

『摂津』[1]P7「郡名異同一覧」には、矢田部・八田部・八部と、時代あるいは書物によって異なる表記が用いられてきたことが記されている。

雄伴郡は、淳和天皇の時代(在位823年 - 833年)、天皇の諱である「大伴」(おおとも)に発音が近いことから、八部郡(やたべぐん)と改名された。仁徳天皇の妃八田皇女名代が付近にあったためともいわれている[2]。『摂津』[1]P538 第三章 氏族 第十三節矢田部郡の「八田部」の項に、「古事記仁徳段に八田皇女御名代(みなしろ)として八田部を定める」と引用する。矢田部郡及び八部郡の地名(矢田部郡は八部郡の別表記)は、御名代八田部の名に由来するとする[1]。改名当初は八田部郡と書いた[3][4][5]

歴史

要約
視点

古代

八部郡の範囲は定かではない。時代によっても異なると考えられる[6][7]和名類聚抄承平年間(931年 - 938年)編纂)には、摂津国八田部郡として、生田・宇治神戸・八部(やたべ)・長田の5つの郷が記されている[8]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

さらに見る 神名帳, 比定社 ...
  1. 1字目は「さんずいに文」。

近世以降の沿革

さらに見る 知行, 村数 ...
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21.湊村 22.林田村 23.須磨村 24.山田村(紫:神戸市 1 - 10は武庫郡 11 - 19は菟原郡 *は発足時の神戸市)
  • 慶応4年
  • 明治4年
  • 明治5年(1872年) - 生田宮村・中宮村・花熊村・北野村・宇治野村が神戸町に合併。(1町38村)
  • 明治12年(1879年1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、下記の変更が行われる。
    • 神戸町・兵庫津・坂本村の区域をもって神戸区が発足し、郡より離脱。(36村)
    • 残部の区域をもって行政区画としての八部郡が発足。郡役所が湊村に設置。
  • 明治14年(1881年) - 西小部村・東小部村が合併して小部村となる。(35村)
  • 明治16年(1883年) - 神戸区の一部が分立して今和田新田となる。(36村)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現・神戸市。(4村)
    • 湊村 ← 奥平野村、石井村、夢野村、烏原村、荒田村[飛地](概ね現・兵庫区)
    • 林田村 ← 東尻池村、西尻池村、長田村、駒ヶ林村、野田村、御崎村、今和田新田、吉田新田(概ね現・長田区)
    • 須磨村 ← 板宿村、大手村、西代村、池田村、妙法寺村、車村、白川村、東須磨村、西須磨村、多井畑村(概ね現・須磨区)
    • 山田村 ← 上谷上村、下谷上村、原野村、福地村、中村、東下村、西下村、衝原村、小河村、坂本村、藍那村、小部村、与左衛門新田(現・北区)
    • 荒田村の大部分(飛地を除く)が神戸市の一部となる。
  • 明治29年(1896年)4月1日
    • 湊村・林田村および須磨村の一部(池田)が神戸市に編入。
    • 郡制の施行のため、武庫郡・菟原郡・八部郡の区域をもって、改めて武庫郡が発足。同日八部郡廃止。

行政

さらに見る 代, 氏名 ...
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脚注

参考文献

関連書籍

関連項目

外部リンク

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