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副島博志
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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副島 博志(そえじま ひろし、1959年(昭和34年)7月26日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。佐賀県佐賀郡川副町(現:佐賀市)出身。
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経歴
佐賀県立佐賀商業高等学校を卒業後、ヤンマークラブを経て、1980年にヤンマーディーゼルサッカー部(現在のセレッソ大阪)に入部。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー、ディフェンダー。1991年(平成3年)に住友金属工業蹴球団(現在の鹿島アントラーズ)に移籍し、翌年引退。そのままアントラーズでサテライトコーチやフィジカルコーチを務める。
その後、ガンバ大阪やセレッソ大阪のサテライトでコーチや監督を務めた後、1999年(平成11年)に初めてトップチームのコーチに就任。天皇杯前に監督のレネ・デザイェレが突然辞任したときは監督代行を務め、2000年(平成12年)にそのまま監督に就任。
C大阪では2000年1stステージで最終戦に勝てば優勝という所まで行ったが優勝を逃してしまう。2ndステージは中位の成績だったが、2001年(平成13年)は残留争いに巻き込まれ、8月に解任された(その年C大阪は結局J2降格)。
2002年(平成14年)は故郷に戻り、J2所属のサガン鳥栖の監督を務める。2002年の前後数年はサガンが経営危機に揺れた時期で、その時期の中では比較的良い成績(9位)を収めたが、続投要請を断って辞任。2003年(平成15年)はヴィッセル神戸で再びJ1チームの監督を務めたが、これも1年で辞任した。
2004年(平成16年)からは桃山学院大学のサッカー部監督を務めていたが、2005年9月にU-18監督兼ユース総監督という肩書でセレッソに復帰した。
2009年(平成21年)は、ヤンマー時代のチームメイトであった楚輪博監督率いるJ2のカターレ富山のヘッドコーチに就任。
2010年(平成22年)より、J2のザスパ草津の監督に就任。2012年シーズン終了後に草津の監督を退任し、ジェフユナイテッド市原・千葉のU-18チームの監督に就任した。
2015年(平成27年)にはタイ2部(Division-1)のアユタヤFC監督に就任し、初の海外チームでの指揮を執ったが、開幕9試合を1勝2分け6敗(得点12、失点25)の勝ち点5でリーグ最下位に沈み、4月27日に解任された[2]。
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所属クラブ
個人成績
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 4回出場(1980年、1981年、1982年、1987年)
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 2試合0得点
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ): 1980年6月9日 対
香港戦 (広州)
- 日本代表初出場 : 1980年5月25日 対
AAアルヘンティノス・ジュニアーズ戦 (国立競技場)
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点 (1980)
出場
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指導歴
- 1992年 - 1995年
鹿島アントラーズ
- 1996年 - 1997年
ガンバ大阪
- 1996年 サテライトヘッドコーチ
- 1997年 フィジカルコーチ兼サテライト監督
- 1998年
セレッソ大阪
- 1998年 サテライトコーチ兼ユース監督
- 1999年 コーチ
- 2000年 - 2001年8月 監督
- 2002年
サガン鳥栖:監督
- 2003年
ヴィッセル神戸:監督
- 2004年 - 2005年
桃山学院大学:監督
- 2005年9月 - 2008年
セレッソ大阪:U-18監督
- 2009年
カターレ富山:ヘッドコーチ
- 2010年 - 2012年
ザスパ草津:監督
- 2013年 - 2014年
ジェフユナイテッド市原・千葉U-18:監督
- 2015年
アユタヤFC監督
- 2016年 -
大阪学芸高校女子サッカー部:監督
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監督成績
- 2001年はセカンドステージ第2節まで。
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8134-5
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2009』、コナミデジタルエンタテインメント、2009 ISBN 978-4-86155-850-4
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010 ISBN 978-4-86155-852-8
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2004』、コナミメディアエンタテインメント、2004 ISBN 4-86155-801-8
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脚注
関連項目
外部リンク
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