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北宇都宮駐屯地
栃木県にある陸上自衛隊の駐屯地 ウィキペディアから
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北宇都宮駐屯地(きたうつのみやちゅうとんち、JGSDF Camp Kita-Utunomiya)は、栃木県宇都宮市上横田町1360に所在し、航空学校宇都宮校等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
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概要
1,700m滑走路を持つ宇都宮飛行場があり、駐屯部隊の隊員の大部分を航空科が占めている。(航空学校宇都宮校、第12ヘリコプター隊第1飛行隊および東部方面管制気象隊第4派遣隊)
また、官公庁航空機(防衛省、海上保安庁、都道府県警察ヘリコプター、消防防災ヘリコプター)の製造・整備を行うSUBARU宇都宮製作所(航空宇宙カンパニー)南工場と栃木県警察航空隊が同駐屯地に隣接しており、飛行場を協定により共同使用している。
駐屯地司令は、陸上自衛隊航空学校宇都宮校長が兼務。
駐屯部隊の概要
- 陸上自衛隊航空学校宇都宮校
- 本校は明野駐屯地に所在し、霞ヶ浦駐屯地(霞ヶ浦校)との3校で陸上自衛隊の回転翼操縦士を養成している。
- 宇都宮校は、陸曹航空操縦学生課程(FEC)および計器検定官課程(EOC)を担当している。
- 宇都宮校の所属航空機は、エンストロム 480、UH-1Jの2機種を用いる。
- 駐屯地祭の際には教官によるアクロバットチーム『ブルーホーネット』が臨時編成される。
- 第12ヘリコプター隊第1飛行隊:空中機動力を高めた旅団として再編された第12旅団のヘリコプター部隊の派遣隊。主力部隊は相馬原駐屯地に所在。UH-60JAを運用する。
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沿革
要約
視点
中島飛行機宇都宮製作所飛行場
- 1943年(昭和18年):中島飛行機(現在のSUBARU)が軍用機製造のため「中島飛行機宇都宮製作所飛行場」として開設した。(戦時中の宇都宮飛行場は、陸軍宇都宮清原飛行場(現在の清原工業団地)のことを指す。)
アメリカ軍
航空自衛隊
- 1957年(昭和32年)8月1日:航空自衛隊第2操縦学校が松島基地から移駐[1]。
- 1958年(昭和33年)12月3日:「宇都宮飛行場」として告示[2]。航空自衛隊(第2操縦学校)が操縦教育開始[3]。
- 1959年(昭和34年)6月1日:第2操縦学校が第13飛行教育団に改編[1]。
- 1962年(昭和37年)
陸上自衛隊宇都宮駐屯地北宇都宮分屯地・航空自衛隊
- 1962年(昭和37年)11月30日:陸上自衛隊が宇都宮駐屯地の北宇都宮分屯地として設置[4]、東部方面航空隊(主力)が霞ヶ浦駐屯地から移駐。
- 1963年(昭和38年)3月15日:第14飛行教育団が廃止。
陸上自衛隊宇都宮駐屯地北宇都宮分屯地・海上自衛隊・航空自衛隊
- 1963年(昭和38年)9月1日:海上自衛隊(教育航空集団司令部および岩国教育航空群から改編した宇都宮教育航空群)が岩国航空基地から移転。
- 1964年(昭和39年)12月28日:飛行教育集団司令部が宇都宮から浜松北基地に移転(航空自衛隊が撤収)。
陸上自衛隊宇都宮駐屯地北宇都宮分屯地・海上自衛隊
陸上自衛隊北宇都宮駐屯地
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駐屯部隊・機関
防衛大臣直轄部隊・機関
東部方面隊隷下部隊
- 第12旅団
- 第12ヘリコプター隊
- 第1飛行隊:UH-60JA装備
- 第12ヘリコプター隊
- 東部方面航空隊
- 東部方面システム通信群
- 第105基地システム通信大隊
- 第317基地通信中隊
- 北宇都宮派遣隊
- 第317基地通信中隊
- 第105基地システム通信大隊
航空保安無線施設
航空管制
TWR | 126.2MHz,138.05MHz,140.3MHz,236.8MHz |
APP | 120.1MHz,122.45MHz,362.3MHz |
RESCUE | 123.1MHz |
駐屯地イベント使用時 統制45.1MHz 飛行展示140.8MHz 122.6MHz 126.2MHz
最寄の幹線交通
脚注
関連項目
外部リンク
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