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北海道夕張高等学校
北海道夕張市にある公立高校 ウィキペディアから
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北海道夕張高等学校(ほっかいどうゆうばりこうとうがっこう、Hokkaido Yubari High School)は、北海道夕張市に所在する道立高等学校。
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歴史
1936年に夕張高等家政女学校として開校。幾多の変遷を辿り、1951年12月に北海道夕張南高等学校となる。その後1992年に旧制中学校を前身とする北海道夕張北高等学校と統合、北海道夕張高等学校と改称された。
2007年に夕張市が財政再建団体となったことで閉校が囁かれた。これは、少なくとも平成13年度から平成18年度を除き定員割れが続いていたこと[1]、また平成18年8月に北海道教育委員会により策定された「新たな高校教育に関する指針」により、1学年3学級以下の小規模校の場合、再編の可能性が高くなり[2]、その当時1学年2学級であったため、再編の可能性が高かったためである。しかし地元進学率が高いこと(平成26年度夕張中学校卒業生65名のうち、夕張高校進学者37名[地元進学率:約56.9%][3]であった。また平成27年度高校入学者39名であり、地元中学卒業者が占める割合は約94.9%であった。)、他の高校に通う場合に通学が難しい地域である状況を踏まえて[4]、学級減にした上で存続している。
一学年の定員は平成18年度より80名であった。平成18年度を除いて、毎年定員割れとなっていた影響(入学定員充足率が高い年:平成19年度[83.75%]、入学定員充足率が低い年:平成22年度[60%][1])から平成25年度以降は、40名で募集している[5]。また、平成31年度の入学生は20名であった[1]。(1学年の在籍生徒数が5月1日時点で20名未満であり、かつ生徒数の増加が見込まれない場合は、再編整備される可能性が更に高くなる[6])更に、平成31年度より地域連携特例校が導入され、岩見沢東高等学校が協力校となる[7][8]。 令和6年度の新入生は26名。全校生徒59名である。
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沿革
- 1936年4月1日 - 夕張町立高等家政女学校として開校。夕張尋常高等小学校を仮校舎とする。
- 1938年11月23日 - 独立校舎へ移転。
- 1940年4月1日 - 夕張町立高等女学校と改称。
- 1941年4月1日 - 市制施行により夕張市立高等女学校改称。
- 1944年3月31日 - 女子勤労挺身隊出動式挙行。
- 1945年6月30日 - 学徒隊結成式挙行。
- 1947年5月28日 - 新憲法施行記念植樹。
- 1948年4月1日 - 学制改革により夕張市立高等学校と改称。全日制普通科設置。
- 1950年4月1日 - 男女共学開始。
- 1950年7月25日 - 北海道夕張東高等学校と改称。
- 1951年4月1日 - 商業科設置。
- 1951年10月1日 - 校歌制定。
- 1951年11月25日 - 現在地の新校舎へ移転。
- 1951年12月15日 - 北海道夕張南高等学校と改称。
- 1952年4月19日 - 定時制第1回入学式挙行(普通科・商業科)。
- 1952年4月20日 - 登川分校設置(1954年道立移管、北海道夕張登川高等学校)。
- 1953年4月12日 - 定時制真谷地分室設置(1955年独立、北海道夕張真谷地高等学校)。
- 1976年3月31日 - 定時制商業科閉科。
- 1978年4月1日 - 定時制募集停止(1981年3月31日閉課)。
- 1983年3月14日 - 格技場落成。
- 1983年12月9日 - 体育館、2・3線校舎焼失。
- 1985年12月17日 - 夕張南高事件最高裁判決。
- 1986年2月6日 - 新校舎落成、移転。
- 1987年9月20日 - 創立50周年・校舎改築記念式典挙行。
- 1992年3月24日 - 北海道夕張南高等学校閉校式挙行。
- 1992年4月1日 - 北海道夕張北高等学校と統合し、北海道夕張高等学校と改称(普通科4学級)。校歌は夕張南高校より継承。
- 1994年3月31日 - 商業科閉科。
- 2006年10月8日 - 創立70周年記念式典挙行。
- 2015年4月1日 - 学級数普通科1間口3学級
- 2016年10月30日 - 創立80周年記念式典挙行。
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交通
学校名について
以下のとおり、時代によって別の学校が、夕張高や夕張東高を校名としていたので、注意が必要である。
著名な出身者
脚注
関連項目
外部リンク
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