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千代櫻輝夫
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千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で、九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 輝夫(さいとう てるお)→藤岡 輝夫(ふじおか -)、最高位は東前頭5枚目(1977年3月場所)。現役時代の体格は182cm、107kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。
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来歴・人物
中学卒業後、若狭龍太郎氏(地元で、中学校の校長などを務めていた)の紹介で出羽海部屋へ入門し、1966年3月場所にて初土俵を踏んだ。なお、当初の四股名は、本名を少し弄った「斉藤」であった。
その後、部屋付きの九重親方(元横綱・千代の山)の独立に同行し、1967年3月より九重部屋に移籍。
1969年1月場所で幕下に昇進したが、ここで壁にぶつかり、1973年1月場所まで約4年に亘る幕下暮らしを強いられた(その間、三段目に落ちていた時期もあったが、全勝優勝ですぐに幕下へ復帰している)。
1973年3月場所にて新十両に進み、以後はこの地位に定着するも、十両上位では苦戦が続いた。しかし、十両在位21場所目・東十両3枚目で迎えた1976年7月場所では上位の壁を物ともせず、10勝5敗と大勝。この好成績により、翌9月場所にて、26歳で新入幕を果たした。
きびきびした取り口を身上としていたが、勝ち身が速くなかった事もあって幕内では活躍できず、幕内在位は通算7場所に終わっている。
現役晩年は内臓疾患によって満足に相撲も取れなくなり、最後は幕下10枚目まで陥落して、1978年5月場所を以って引退。
引退後は日本相撲協会に残り、年寄・君ヶ濱として後輩達を指導していたが、1979年3月場所限りで角界を去った(その後、君ヶ濱の名跡は、同部屋の先輩で同郷でもあった元関脇・北瀬海が取得)。
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主な戦績
- 通算成績:383勝369敗7休 勝率.509
- 幕内成績:42勝63敗 勝率.400
- 現役在位:73場所
- 幕内在位:7場所
- 連続出場:752番(序ノ口以来、1966年5月場所-1978年3月場所)
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1974年1月場所、1977年9月場所)
- 三段目優勝:1回(1969年5月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
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改名歴
- 斉藤 輝夫(さいとう てるお、1966年5月場所-1967年1月場所)
- 千代桜 輝夫(ちよざくら -、1967年3月場所-1970年7月場所・1971年11月場所-1973年1月場所・1978年5月場所(引退))
- 北輝 輝夫(きたひかり -、1970年9月場所-1971年9月場所)
- 千代櫻 輝夫(ちよざくら -、1973年3月場所-1978年3月場所)
年寄遍歴
- 君ヶ濱 輝夫(きみがはま てるお、1978年5月-1979年3月(廃業))
関連項目
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第4巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1993年)p160-p164
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