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南平野 (さいたま市)
埼玉県さいたま市岩槻区の町丁および大字 ウィキペディアから
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南平野(みなみひらの)は、埼玉県さいたま市岩槻区の町丁および大字。現行行政地名は南平野一丁目から南平野五丁目および大字南平野。住居表示未実施地区。郵便番号は、339-0051[2]。
地理
埼玉県さいたま市岩槻区の北東部に位置する。おおむね東武野田線(東武アーバンパークライン)東岩槻駅の南側で、土地区画整理事業が完了し、整備された街並みが広がる。町名変更されなかった大字南平野は元荒川の西側に一部残っている。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日時点の公示地価によれば、南平野三丁目23番3の地点で81,000円/m2となっている[4]。
歴史
もとは江戸期より存在した埼玉郡岩槻領に属する平野村であった[5]。
- 初めは岩槻藩領、以降変遷なし[5]。
- 幕末の時点では埼玉郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、岩槻藩領[6]。
- 1871年(明治4年)
- 1879年(明治12年)3月17日:郡区町村編制法施行に伴い、南埼玉郡に所属と同時に南平野村に改名される[5][8]。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行に伴い、大口村・南平野村・長宮村・大野島村・増長村・大谷村・大戸村・大森村・新方須賀村が合併し、南埼玉郡川通村が成立し、川通村の大字南平野となる[8]。
- 1954年(昭和29年)
- 1971年(昭和46年)
- 2005年(平成17年)4月1日:岩槻市がさいたま市に編入合併され、同市岩槻区の大字となる。
- 2008年(平成20年)2月9日:大字南平野の一部が東岩槻六丁目に編入される[11]。
- 2011年(平成23年)10月8日:南平野土地区画整理事業が完了し、大字南平野および大字長宮の各一部から南平野一丁目 - 五丁目が成立[12]。
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字
- 丸田(まるた)
- 中通丸田(なかどおりまるた)
- 深町(ふかまち)
- 下六反(しもろくたん)
- 上六反(かみろくたん)
- 清賀(せいか)
- 堤外
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[13]。
交通
鉄道
南平野一丁目の北西縁を東武野田線(東武アーバンパークライン)が通るが、駅はない。最寄り駅は地点によって異なり、東武野田線(東武アーバンパークライン)の東岩槻駅、または同豊春駅である。
道路
施設

脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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