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国府町 (徳島県)

日本の徳島県名東郡にあった村 ウィキペディアから

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国府町(こくふちょう)は、徳島県名東郡にあったである。

概要 こくふちょう 国府町, 廃止日 ...

1967年1月1日徳島市編入された。大字は全て「国府町〜」という冠称が付き、全域が国府町と呼ばれる。市内の他のと同等に扱われることもあるが[1][2]、本来は町に同等なのは国府町内の各大字である。現在の徳島市の地区分けでは、北から北井上地区南井上地区国府地区の3地区に分かれる。かつての地区分けでは全域を国府地区とする文献もある[2]

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地理

北縁を流れる吉野川と、その支流で南東縁を流れる鮎喰川に挟まれた低地である。

地形

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隣接していた自治体・地区

合併時。ただし、国府町の徳島市編入以来、周辺での合併等はない。

徳島市・板野郡藍住町名西郡石井町

現在の地区と町

人口は徳島市による推計[3](2011年6月)。大字名からは冠称「国府町」を省略。徳島市編入前の大字とは一部相違がある。

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歴史

年表

  • 平安時代 - 加茂郷を、現在の南井上地区(『徳島県史』『阿府志』)または南井上地区〜北井上地区(『日本地理志料』)に比定する説がある。
  • 1889年(明治22年)10月01日 - 町村制施行に伴い、名東郡国府村北井上村南井上村名西郡入田村が成立。
  • 1908年(明治41年)07月01日 - 国府村が国府町へ移行。
  • 1927年(昭和2年) - 鮎喰川の水が減少した理由は上流(入田村)に作られたコンクリート堰にあるとして、町民が抗議運動を展開。県職員を拘束する騒ぎとなった[4]
  • 1948年(昭和23年) - 北井上村のうち吉野川北岸が、板野郡藍園村(現 藍住町)に編入。
  • 1950年(昭和25年)3月29日 - 昭和天皇が町内を行幸(昭和天皇の戦後巡幸[5]。名東第一中学校校庭に名東郡奉迎場を設けて天皇を迎えた[6]
  • 1953年(昭和28年) - 昭和の大合併に際し、国府町議会が合併案を発表。3.の1町3村合併案が採用され合併交渉が始まった[2]
  • # 徳島市と合併
  • # 北井上村・南井上村と合併
  • # 北井上村・南井上村・入田村と合併
  • # 南井上村・入田村と合併
  • # 南井上村と合併
  • 1955年(昭和30年)01月01日 - 名西郡入田村(入田矢野)が廃止され、入田が徳島市に、矢野が国府町に(国府町矢野がすでにあったため西矢野として)分割編入。
  • 1955年(昭和30年)02月01日 - 国府町・北井上村・南井上村が合併し、新国府町が発足。
  • 1967年(昭和42年)01月01日 - 徳島市に編入。大字名に「国府町」が冠称される。

市町村の変遷

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    交通

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    出身者

    現在の(1955年以降の)国府町に相当する場所の出身者を記す。

    脚注

    関連文献

    関連項目

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