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塩屋俊

日本の俳優、映画監督 (1956-2013) ウィキペディアから

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塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日[1] - 2013年6月5日)は、日本俳優映画監督

概要 しおや とし 塩屋 俊, 本名 ...

人物

大分県大野郡野津町[2](現・臼杵市)出身。本名 塩屋 智章(しおや のりあき)[3]

息子は俳優の塩屋准。

慶應義塾大学文学部教育学科卒業[1]。大学在学中、「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加し奈良橋陽子に師事する[3]。元々演出家志望だったが[3]1977年に英語ミュージカル『ヘアー』で主役を演じ、その後芸能界へ進出[3]ネイバーフッド・プレイハウスのメソッド演技のレッスンを受け、以後国内外を問わず、テレビ、映画作品等への出演を重ねる。

1994年、「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現「アクターズクリニック」)。自身の俳優業と並行して主宰として後進の育成に力を注いでいた[4]。アクターズクリニックでは相武紗季桐谷健太向井理夏菜等多くの俳優を指導していた[5]

2013年6月5日、公演先の宮城県仙台市東北電力ホールの楽屋で倒れ、仙台市内の病院へ救急搬送されたものの、同日午後2時56分、急性大動脈解離のために死去[6]56歳没。急逝した公演には「アクターズクリニック」の教え子の鈴木亮平趣里が出演しており、塩屋は鈴木の才能を見出だし、何れは売れる俳優になると確信していた[7]。趣里についても 「お前は大丈夫、芝居をやったほうがいい」とずっと言い続けて励ましていた[8]という。死後、同年8月2日に交流のあった小堺一機等が発起人になり「塩屋俊を偲ぶ会」が開かれ、俳優の陣内孝則大和田伸也中村雅俊宮地真緒藤田朋子ら450名の関係者が集まった[9]2014年3月に臼杵市市民栄誉賞が贈られた[2]

死去後、個人事務所の「ウィル・ドゥ」は破産し消滅したが[10]、「アクターズクリニック」は後進の手に引き継がれて続いている。

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出演

テレビドラマ

映画

吹き替え

バラエティー番組

CM

ラジオ

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監督作品

参考文献

脚注

外部リンク

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